2021年7月11日(日)礼拝式次第と説教 「愛に根ざして」

2021年7月11日

日曜日の10時半からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」をしています。
日曜日の午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。

礼拝 2021 年 7月 11日(日)
司式 役員
奏楽 浅井 義子

前 奏
招 詞     イザヤ書35章1-2節
讃 美 歌   206-1節 〝七日の旅路〟
交読詩     詩編119編105-112節
祈 祷
讃 美 歌   514-4節 〝美しい天と地の造り主〟
聖 書    使徒言行録19章13-20節(新約251頁)
説 教    『愛に根ざして』  伝道師 佐藤 倫子
讃 美 歌   478-3節 〝どんなものでも〟
信仰告白   〝使徒信条〟
献 金
主の祈り
派遣の賛美  90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福

 

 

 

説教 2021年7月11日(日)
「愛に根ざして」   伝道師 佐藤 倫子
使徒言行録19章13-20節

 

ユダヤ教の祈祷師の中に、「試みに、主イエスの名を唱えて」(使徒19:13)、悪霊を追い出そうとする者たちがいたが、逆に悪霊に「お前たちは何者だ」と言い返され、ひどい目に遭わされ、彼らは逃げ出したとあります(使徒19:15-16)。これは非常に興味深い話です。そこでイエスの名前が語られているからと言って、本物であるとは限りません。
「御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行った」(マタイ7:22)としても、まだ御心にかなっているとは言えない。それでは何が私たちの信仰を本物にするのでしょうか。

国分寺教会では洗礼を受ける前に役員会で、受洗志願者の洗礼諮問が行われます。私が洗礼を受けた教会でも信仰諮問会が行われていました。諮問会ではそれまでの生活について様々な質問がなされます。「神の存在を信じたのはどういうきっかけですか?」とか、「どのように変えられましたか?」とか。同じような経験をされた方は是非ご自分のことを思い起こしてみてください。
道と行いを正す。つまり、自分の生き方を刷新しすること、それをキリスト教では「悔い改め」と言います。神と出会ったことで変えられた自分に気付いたことを語られる人も多くおられます。また、「洗礼を受ければ新しい自分に生まれ変われる」と信じていた方もあるでしょう。しかし、洗礼を受けた瞬間、これまでと全く別の人間に、突如として変わる人はほとんどいません。身に染みついた「生き方」を変えることは簡単ではない。比較的多くの方が感じられる一つの壁といえるでしょう。

7月第二主日は、日本キリスト教団の暦で「部落解放祈りの日」とされています。部落差別なんて教科書に出てくる大昔のことなのに。恥ずかしながら私もそう思っていた一人でした。しかし、京都で学生として過ごす中で、この差別が今も連綿と生き続けているという現実を知らされました。今も差別と戦い続けている人たちがいることを知りました。
1975年5月15日、日本キリスト教団は部落差別問題に関して公式会見を求められた際、教団内にひどい部落差別の事例が放置されたままになっていることが指摘されました。当時の部落解放同盟の人権担当者であった西岡智さんはこう仰いました。「私はキリスト教についてはまったくの素人であり、聖書もあまり読んではいないが、この素人の私が考えても、あなたがたの信じているイエスさんが今ここに居られたらどう言われるだろうか、『お前たちはようやっとる』と言われるだろうか。決してそうは言われないと思う。……だからあなた方はこの部落差別の問題を性根を入れかえてやってほしい。」と。
この言葉が私にも突きつけられています。身に染みついた生き方を簡単に変えることなどできない。でも、目の前にある様々な不具合、不都合に対してどう振る舞うのか。どう働くのか……。そして、何もできていない自分を発見するのです。
しかし、私は今日も立っています。何も変わっていない、何もできていない、何もできそうもない、にもかかわらず。それは、自力で耐えられたわけでもなければ、「私」という柱が立派だったからでもありません。ただ、根ざしていた土台が揺るぎなかったからです。
悔い改めはギリシャ語でメタノイアといいます。心を改めるのではありません。生き方全てを神に向ける事、それがメタノイアです。しかしそれは、独善的なものではありません。神が創られ、愛される全てのものと共に生きる歩み。メタノイアを逆から読めば「アイノタメ」。万物を愛された神と共に生きること。良き隣人として共に生きること。

日本キリスト教団は、先ほどの西岡さんの言葉、自分たちが様々な問題に対して何もできていなかった事実を重く受け止めて、7月第二主日を「部落解放祈りの日」として、全国の教会・伝道所に部落解放を初めとしたあらゆる差別からの解放を課題とする礼拝を呼びかけています。
祈ることを通して、この世界には様々な問題があることを知っていくことが大切です。祈りを通して、問題を抱える人たちとつながっていく。
いつも完璧にできるわけではないでしょう。悔い改めがほとんど無駄であるかのようなこの私です。しかし、その私を捉え、ご自身の上に据えてくださった方が、どのような時も私たちを支えてくださるのです。

支えられている私たちは、再び立ち上がることができます。何度だって立ち上がる事が出来るのです。そして、愛のために働くことができるようにされていきます。その歩みは亀のように遅々たるものかもしれません。しかし、確実に押し出されています。自分が立っている場所が、しっかりとした土台であることを再確認しましょう。その土台は大きな愛でできたものであることを。愛に根ざした一人として愛のために働いて参りましょう。

 

 

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