2021年4月4日(日)礼拝式次第と説教 「死からはじまるいのち 〜さあ、イースタートを」

2021年4月4日

日曜日の10時半からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」をしています。
日曜日の午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。

イースター礼拝 2021 年 4月 4 日(日)
司式 伝道師 佐藤 倫子
奏楽 内田 直美

前 奏
招 詞    詩編121編1-2節
讃 美 歌   205-5節 〝今日は光が〟
交読詩     詩編16編
祈 祷
讃 美 歌    347-1節 〝たたえよ、聖霊を〟
聖 書     ローマの信徒への手紙8章11節(新約284頁)
説 教    『死からはじまるいのち 〜さあ、イースタートを』 牧師 上林 順一郎
讃 美 歌    326-1節 〝地よ、声たかく〟
信仰告白   〝使徒信条〟
献 金
主の祈り
派遣の賛美  90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福

 

説教 2021年4月4日(日)
「死からはじまるいのち 〜さあ、イースタートを」                           牧師 上林 順一郎
ローマの信徒への手紙8章11節

1、人生は苦しみか。
「生老病死」(しょう、ろう、びょう、し)という言葉があります。 生(しょう)、とは生まれることです。老とは老いること、病は病気になることです。そして、最後は死。この四つを称して四苦と言います。さらに、四苦(愛する者との別離の苦しみ、憎む者と会わねばならない苦しみ、求めるものが得られない苦しみ、体と心の苦しみ)を加えて四苦八苦と言います。四苦・八苦とは生きること自体が苦しみのみであるという仏教の教えの一つです。
たしかに、生まれた瞬間から、人はだれでも老いへと向かいます。多くの場合、老いは心身の衰えをもたらし、心身とも不自由を覚えます。さらに老いは多くのモノを失います。健康だけでなく、社会的な働きや役割を失っていきます。人間関係も次第に無くなり、いずれ愛する人と別れ、孤独な生活を余儀なくさせられることになります。そして老いは病に繋がっています。老いとは「病の日々」と言えるかもしれません。そして最後は死です。私たちの人生、結局は死に至るのです。ですから、私たちの一生は四苦・八苦、苦しみであると仏教は教えるのでしょう。生きるとは苦しみであり、最後は死という「マイナスの記号」が私たちの人生の前についているということです。

 

2、死を超えるものがある。
もちろん、キリスト教にしても人生は苦しみが多いものであることを教えます。私たちクリスチャンも苦労はしますし、老いていきますし、もちろん病気にもなります。クリスチャンであっても死をまぬかれることはありません。私たちクリスチャンもまた四苦八苦の人生を生きているのです。
しかし、そうでありながら、「死がすべての終わりである」とは思っていないのです。イエスはヨハネの福音書の中で、ラザロが死に瀕する病気の時、「この病気は死で終わるものではない」(11:4)と、ラザロの病気が死で終わらず、新しい命へと繋がるものであること語られたのです。続いて言われます。「わたしは復活であり、いのちである。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者はだれも決して死ぬことはない」(11:25)

 

3、イースターとは、いのちの始まり
今日はイースターです。イエス・キリストが死の中からよみがえり、復活されたことを共に喜び、私たちもイエスの死と復活に与かることが許されていることを感謝する礼拝です。きょう読んだ聖書でパウロはこう言います。「わたしたちはキリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます」
私たちの人生の前には「生老病死」と言うマイナスという記号がついていると言いました。-(人生)です。しかしイエスご自身も私たちと同じ人間として生まれ、同じ人間として生きられたのです。もしかして「老い」は験されなかったかもしれませんが、それ以外の苦しみ、病気のつらさも、「別離」の哀しみも、「孤独」の苦しみも味わっておられました。そして、最後に死を経験されたのです。しかも十字架と言うもっとも苦しく辛い死を受けられたのです。その意味では彼の人生の前にも十字架の死と言う「-」の記号がついていたのです。しかしイエスのこのマイナス(-)のは私たちの-(生老病死)という人生を共にしてくださった「しるし」です。マイナスとマイナスをかけると、算数ではプラスになります。

 

4、マイナスからプラスへ、そして・・・
ところで「+」のかたちは何かに似ていませんか?そうです。十字架です。十字架は死を表す印でありますが、私は十字架はむしろイエスの復活を示すものなのです。だから、教会の一番高いところに十字架を掲げるのです。私たちの人生を囲んでいるマイナスである死が打ち破られ、イエス・キリストの新しいいのちのしるしであるプラスを掲げているのです。パウロは言います。「わたしはキリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです」(ガラテヤ2:⒛)
灯きょう4月4日のイースター礼拝から教会の一年が始まります。主任牧師が不在ですが、代務者と伝道師が頑張ります。だから教会は色々な点で四苦八苦することになるかもしれません。でも、大丈夫。復活のキリストが私たちの内に、そして国分寺教会の歩みと共に生きてくださることを確信します。

新しい一年の歩みを、さあ始めましょう。

ではみなさん、よきイースターを、いやイースタートを!

 

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