2021年5月23日(日)礼拝式次第と説教 「ふしぎな風が、吹くとき」

日曜日の10時半からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」をしています。
日曜日の午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。

ペンテコステ礼拝 2021 年 5月 23日(日)
司式 伝道師 佐藤 倫子
奏楽 三宅 さやか

前 奏
招 詞    詩編 34編9節
讃 美 歌   こどもさんびか 94-1節 〝ふしぎなかぜが〟
交読詩     詩編121編
祈 祷
讃 美 歌    352-3節 〝来たれ全能の主〟
聖 書    ヨハネによる福音書3章7-8節(新約167頁)
説 教    『ふしぎな風が、吹くとき』  牧師 上林 順一郎
讃 美 歌    393-3節 〝こころを一つに〟
信仰告白   〝使徒信条〟
献 金
主の祈り
派遣の賛美  90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福

 

 

説教 2021年5月23日(日)
「ふしぎな風が、吹くとき」   牧師 上林 順一郎
ヨハネによる福音書3章7-8節

 

1.どうぎょうににん

四国の教会にいた時、巡礼をしている人の姿をたびたび目にしました。白装束に菅笠をかぶり、金剛の杖を手にして四国八十八か所の霊場を巡礼する人々です。真夏の暑さの中、雪の降る真冬の時期も、ただ一人黙々と道を歩いて行く人の姿はどこか崇高に思えました。巡礼者は基本的には一人旅ですが、彼らは決して孤独な旅をしているのではありません。頭にかぶっている菅笠の内側には「同行二人(どうぎょうににん)」という言葉が書かれているからです。同行二人とは、「お大師さん(空海)」と一緒に旅をしているということを表しています。困難な旅の最中も、一人で孤独な山の中を行く時も、泊まるところがなく野宿をする時も、いつも『お大師さん』が一緒にいて難儀を共にしてくださるという信仰を持っている方々です。風に吹かれながら独り旅するその歩みと共にお大師さんの霊が一緒に旅しているかのかのように思われ、「聖霊と同行二人」と自分を重ね合わせていました。

 

2.風は息、吹くままに

「風は思いのままに吹く、あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれる者も皆そのとおりである」(ヨハネによる福音書3:8)
「風」という言葉には、旧約聖書も同じですがいろいろな意味があります。まず「霊から生まれる者」とある「霊」の意味があります、さらに「息」、「呼吸」という意味もあります。ですから、風は「霊」でもあり、また「呼吸」でもあるということです。

 

3.不思議な風が

今日歌いましたこども讃美歌94の一節『ふしぎな風が、びゅっと吹けば、なんだか勇気がわいてくる。イエス様のお守りがきっとあるよ。それが聖霊のはたらきです。主イエスのめぐみは、あの風と共に』、群馬の前橋教会の牧師である川上盾さんがつくった歌です。聖霊は風となって吹いてきます。そして息となってわたしたちの呼吸になってくれます。そして霊(魂)となって私たちを生かしてくれるのです。 
松山教会の出身で難波幸矢さんという方がいます。結婚した相手の方は高校の教師ですが36歳の時に進行性筋萎縮症という難病にかかります。この病気は筋肉が侵され、体の先端部分の筋肉から次第に力が失われ、目の瞼も開けたり閉めたりすることができなくなり、最後は心臓の筋肉に至って死を迎えると言うとてもむごい病気です。しかし、彼ら夫妻は互いに助け合いながら教師の仕事を続けていきます。病気は次第に進行し、両足、両手と侵されていきます。ある日の朝、いつものように彼女は車の助手席に彼を載せて学校へと向います。途中、車が混んでいて信号機のところでしばらく車は止まりました。その時、隣の席に座っていた夫の紘一さんが大きく息を吸う音が聞こえたのです。何度も何度も音を立てながら息を吸っているのです。「どうしたの、具合が悪いの!」と彼女は聞きます。「いいや、君がいま吐き出したため息を吸っているんだ。いまは僕には君のために何もしてあげることができない。だからせめて君のため息を吸ってあげようと思ったのだ」実は、幸矢さんは止まった自動車の中で思わず大きなため息をついていたのです。夫の病気の将来のこと、これからの生活のこと、子どもたちのこと、自分一人で背負っていかなければならない苦しみ、困難な生活、希望の見えない将来のこと、それらを考えた時、思わず大きなため息が出たのでしょう。そのため息を夫の紘一さんが一生懸命吸おうとしていたのです。ため息を吸っても困難な状況が解決する訳ではないでしょう。しかし、すぐ隣にいてため息を吸ってくれる人がいる、それだけでも人は力を与えられるのです。吐いたため息を吸ってくれるだけで勇気がわいてくるのです。

 

4.助け主としての聖霊

聖霊をヨハネ福音書は「弁護者」と呼んでいます。口語訳聖書では『助け主』と訳していました。元々は『近くへ呼ぶという』という言葉です。呼べばすぐに近くに来て助けてくれる人のことです。聖霊は風のようです。近くに吹いてきて、一緒に呼吸をしてくれる息のようです。そして元気と勇気をあたえてくれる命なのです。「風は見えない。だけど木に吹けば緑の風になり、花に吹けば花の風になる。いま、私を過ぎていった風は、どんな風になったのだろう」(星野富弘)さあ、きょうどんな風になって人々のところに出かけていきましょうか。この世界にイエス様のいのちをもたらすために。

 

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