2021年8月29日(日)礼拝式次第と説教 「御言葉はすべての人と共に」

2021年8月29日

 

新型コロナウイルスの感染が急激に拡大し、東京都では感染者数が高止まりの状態が続いています。

こうした事態に対して感染の危険を避けるために9月12日(日)までの主日礼拝を引き続き在宅礼拝といたします。オンライン配信や説教要旨などを用いてそれぞれの場所で礼拝をお献げください。

日曜日の10時30分からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」、午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。

みなさまのご健康が守られるようにお祈りいたします。

 

2021 年 8月 29日(日)
司式 役員
奏楽 内田 直美

前 奏
招 詞      詩編90編1b-2節
讃 美 歌   475-1節 〝あめなるよろこび〟
交読詩編     詩編104編31-35節
祈 祷
讃 美 歌   52-2節 〝歌え高らかに〟
聖 書    ローマの信徒への手紙10章5-13節(新約288頁)
説 教    『御言葉はすべての人と共に』  伝道師 佐藤 倫子
讃 美 歌   225-3節 〝すべてのものらよ〟
信仰告白   〝使徒信条〟
献 金
主の祈り
派遣の賛美  90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福
後 奏

 

 

 

 

説教 2021年8月29日(日)
「御言葉はすべての人と共に」   伝道師 佐藤 倫子
ローマの信徒への手紙10章5-13節

 

■聖書の言葉

言葉はとても不思議なものです。今、私の口から出ている一つ一つの言葉は、私の口を離れた途端に、私の意思を離れて一人歩きし始めます。
では、神の言葉はどうでしょう。神の言葉、神が私たちに語りかけられた言葉。私たちの言葉とは違う、力のある神の言葉。創世記には神が発せられた言葉によって、この世界が生まれたことが記されています。そして神は、その言葉を通して、私たちと向き合おうとされています。

しかし、神の言葉が文字として書き留められたときから、その言葉と私たちとの関係は変化し始めました。直接語りかけられた者が生きているうちは、神の語りかけとして直接的に捉えられ、その権威は保たれていたかのように思われました。しかし時を経るごとに、その感動は薄れ、単なる書き留められた一つの言葉となってしまいます。今日の聖書箇所でも、神からの救いを約束されたはずのユダヤ人は、律法の掟ばかりに拘り、一体誰が救われて、誰が救われないのかということを問題にしていました。一番大切な御言葉から遠ざかっているとパウロは指摘します。

 

■御言葉はあなたの近くに

パウロは、どこに答えがあるのか探し求めてしまう私たちに向けて、はっきりと語りかけます。神の言葉はあなたたちの目の前にあると。人間の主観的な決断・態度・行為としての信仰に先立つのは、神の言葉です。それは聖書に記されている一つ一つの言葉です。私たちはその言葉を聞き取らなければなりません。そのようにして初めて、私たちの信仰は始まるのです。ですから、聖書は神の御言葉としてまず聞かれなければなりません。わけがわかろうとわかるまいと、まず、神の言葉として受け止めていきたいと思うのです。

小さい子どもと遊んでいると、子どもは絵本を朗読してもらうのが好きだということがよく分かります。私自身の幼少期を思い起こしてみると、確かに私も大人が本を読んでくれる時間が好きでした。耳から入ってくる言葉に身を委ねながら、目の前に広がる絵の世界に没頭出来る瞬間。安心してその世界を飛び回ることができました。恐らくこの時、私の頭の中では、その言葉が持つイメージが大きく膨らんでいたことでしょう。自分の常識や、自分の知識とは関係なく、耳から入ってきた言葉が、そのまま目の前の風景へと変換されていきます。言葉が持つイメージは、2倍にも3倍にもなっています。
聖書の語りかけを聞くのもまた同じだと思うのです。聖書の言葉に耳を傾けるとき、私たちの心の中には、今まで予想もしなかったイメージが広がっていくでしょう。見落としていた言葉、あえて避けていた言葉と直面することができます。その言葉を通して、神のイメージが描き出されます。神の言葉の力が迫ってきます。
それは、独りよがりのイメージではありません。こちらからの働きかけとは一切関わりなく働かれる神です。そして、そうでありながらもなお、私たちと関わり続けようとされる神、私たちを愛し続けてくださる神と出会います。その神の言葉としてその言葉を受けとったとき、まさにその言葉は大きな力を持って私たちに迫ってきます。

 

■すべての人と共にある

信仰は、福音の告知を聞くことから生まれる。聞いて信じ、それに従うことから信仰が生まれる。そこに人種の差はない、とパウロは言います。神はすべての者を導くためにイエス・キリストをお与えくださいました。そこには人種の差や、律法を厳格に守っているかいないかなどという違いはありません。時代や場所を超えて、人種や性別を超えて、すべての人に同じ主がおられるのです。どのような人であったとしても大切なことは神を「呼び求める」こと。そこに神はおられるのです。しかし、人間が呼び求めるだけでは時に独りよがりになってしまったり、神を自分勝手に解釈してしまう恐れがあります。だからこそ、そこに先立つのは、聖書に記されている神の言葉なのです。
そして、神の言葉を聞いた私たちは、神の力にすべてを委ねることができるようになります。私を救いへと導いてくださる神を呼び求めます。一人で祈りながら呼び求めることもあるでしょう。そして、こうして礼拝という場を通して、私たちは共に神を呼び求めています。私たちは今、この時、この場所で新しく神の言葉に出会っているのです。そして、新しく力を与えられています。その喜びを受け取り直しています。「神は私と共におられる」、その喜びが私たちを満たしています。私たちは、すべての人と共に神の救いに与る道へと招かれているのです。

 

 

Copyright© 国分寺教会 , 2024 All Rights Reserved.