礼拝説教 2020 年4月5日(日) 「希望を持って忍耐する」 

主の平安と守りを祈りつつ掲載します。

説教 2020 年4月5日(日)
「希望を持って忍耐する」                     国分寺教会 牧師 願念 望
聖書箇所 エレミヤ17:14  Ⅰテサロニケ1:1-3

パウロは、テサロニケの教会に手紙を書きました。それは単なる手紙ではありません。神様からのメッセージです。神の霊の導きにより、神の言葉を伝えました。

パウロが手紙を書いた背景には、離れていて、どうしても会うことができない教会の一人一人が、とても心配だったことがありました。無事でいるか心配でした。誘惑や間違った教えに迷わされることもあったのです。そして、神様が必ず守ってくださることを信じて「祈りの度ごとに、あなたがたのことを思い起こして、・・・いつも神に感謝しています」(2)と語りかけたのです。

いま、私どもは国分寺教会の礼拝堂に集まることができないで、それぞれ離れたところで礼拝を献げています。私は、そのお一人お一人に向けて、あるいは、お会いしていたことのないお一人お一人に向かっても語っています。どうか神様が守ってくださるように、どうかこの度の厳しい状況が終息しますように、と祈りながら語っています。
お一人お一人を思いながら語っていますと、パウロが神の導きにより心を込めて語った思いとがつながってきます。離れている一人一人のために祈りながら、テサロニケの教会に語った思いと重なるのです。

私は説教で、そこに集った方々に神の言葉を語りかけてきました。しかしよく考えると、神の言葉を聞き取っていく聖書はほとんど、直接そこで聞いたのではなく、離れている仲間に向かって、さらにまだ見ぬ一人一人を深く思って語りかけているのです。
ですから、この度の礼拝堂に集まれない経験は、はじめてのことですが、キリスト教会がはじめの教会でいつも経験してきたことなのです。
離れている一人一人とつながって、私どもは礼拝を献げることができるのです。

手紙のはじめにパウロは、「父である神と主イエス・キリストに結ばれているテサロニケの教会へ。」(1)と書いています。
「結ばれている」というのは、私ども一人一人が互いに結ばれていること、しかも主イエスによって互いは礼拝の祈りによって結ばれているというこです。
「父である神と主イエス・キリストに結ばれているテサロニケの教会へ。」この語りかけは、テサロニケの教会だけでなく、当時の諸教会に回覧されて、自分たちへの神の語りかけとしても読まれました。
私どもも、「父である神と主イエス・キリストに結ばれている国分寺の教会へ。」と神の言葉を受け取ることができるのです。私どもは「父である神と主イエス・キリストに結ばれている」のです。「主」という言葉は、「神様」という意味でもあります。神である、救い主イエス・キリストによって、互いは主なる神と結ばれているのです。
主イエスが私どもを、結び合わせてくださっています。その恵みと平和を、いかなるものも、壊すことはできないのです。互いが主なる神に結ばれている恵みと平和から、いかなるものも切り離すことはできないのです。

今週は、キリスト教会のカレンダーでは、受難週です。来週の礼拝は、キリストの復活を祝う、イースター礼拝です。毎年、イースターの日は移動します。月の暦に従うのが伝統だからです。どう決めてきたかと言いますと、春分の日のあとの満月の、すぐ後の日曜日がイースターです。春分の日のあとの満月の、そのすぐ後の日曜日がイースター。ややこしいかもしれませんが、イースターの前の週には、必ず満月が夜空にあがります。実際に見えることを期待しますが、たとえそうでなくても、闇夜の雲の上には、満月が輝きます。それは、かならず主イエスによって復活がもたらされることのしるし、希望と受け取ることができます。
いま私どもを覆う、闇夜のような現実の上には、主イエスが厳然とおられて、祈りを持って忍耐して働きかけておられるのです。

テサロニケの教会やはじめのころの教会は、「わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐して」いました。迫害が厳しく、来週また生きて会えるかは分からない、自分たちの先を見通せない悩ましさの中にることはめずらしくなかった。まるで闇夜のような黒雲に覆われていても、主イエスが変わらずおられ、忍耐を持って祈っていてくださることを信じて、希望をもって耐えていったのです。
どうか、はじめの教会がそうであったように、私どもも、主イエスに対する希望を持って忍耐して祈っていきましょう。

今週、4月8日(水)が満月です。窓を開けて見ることができる方はごらんになったらといいと思います。黒雲で見ることができなかったとしても、雲の上で月が輝くように、主イエスが強く強く、愛を込めて祈っていてくださることを信じましょう。主イエスは、闇に光をもたらしてくださる。闇夜に朝をもたらそうといつも祈りつつ働きかけてくださっているのです。
主イエスから来る希望によって、忍耐して祈っていきましょう。

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