神を賛美します

2019年10月30日

説教 使徒言行録11章1-18節

ペトロはあるとき、とても困りました。
ペトロは主イエスの弟子で、弟子の中でも特別な使徒と呼ばれました。使徒は主イエスの救いを正しく伝えて、キリスト教会の基礎をつくっていった人たちです。ペトロはその使徒の中でもリーダーのような人でした。

ペトロはあるとき、とても困りました。
それは神様から言われたことが、すぐに受け入れられなかったからです。ペトロの狭い考え方を神様が変えようとされたのですが、すぐには受け入れられなかった。
もちろん、ペトロはキリスト者で、主イエスを救い主と信じていました。主イエスが救い主であって、主イエスを信じるときに、罪赦されて神様に受け入れられ、救われることを伝えていました。そのときに、神様はペトロのもっていた狭い考え方を変えようとなさった。
どういうことかというと、ペトロはキリスト者でしたが、ユダヤ人としても生きていました。キリスト者が、ユダヤ人の習慣を受け継ぐべきか、はっきりしていなかった。ユダヤ人は、食べもののことで、厳しい決まりをもっていました。食べてよいものと食べてはいけないものを分けていました。それを長い間、ずーっと守っていました。

しかしあるとき、天から今まで食べなかったものが下りてきました。そして神様がそれを焼いて食べなさい、とペトロに言われたのです。
ペトロはそのとき、とても困りました。
思ってもみなかった神様の言葉だからです。「主よ、とんでもないことです」とペトロはすぐには受け入れられませんでした。そのとき、神様はどう言われたでしょうか。
神様は言われました。「神が清めたものを、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」ペトロは食べてはいけないものは、汚れたものだと思っていました。
しかしそうではなかった。神様は、食べるものも、神様が与えてくださるもので、すべて感謝していただくようにと言われました。それは、今まで守ってきた食べものの決まりを無くしてくださったということです。そのことは、ユダヤ人とは違う食べものの生活をしている人も、受け入れるようにということでもあります。

ペトロはとても困りました。
神様は「食べなさい」と言われます。ペトロは「とんでもないことです、できません。今まで汚れたものだと思って食べてきませんでした。」神様は「わたしが清めて与えるものは食べることができます。感謝していただきなさい。」そんなやりとりが三回繰り返されました。

そんなときです。人がたずねてきました。ユダヤ人ではない人たちです。今までのペトロだったら受け入れていなかったかも知れません。このときペトロはヤッファという海岸近くの町にいましたが、たずねてきた人たちは、カイサリアというヤッファから北へ60キロぐらい行ったところにある町からやってきました。私たちの町に来て、コルネリウスという人の家に来て主イエスの救いを伝えて欲しいというのです。今までのペトロだったら行かなかったかも知れない。でも神様の聖霊が「ためらわないで一緒に行きなさい」とペトロを後押ししてくださったので、ペトロは出かけました。
ペトロはカイサリアのコルネリウスの家に入って、一緒に食事を食べました。一緒に食事をするということは、相手を受け入れているしるしでした。出されたものを感謝していただきました。もしかしたら、今まで食べなかったものを神様が言われたとおりに、感謝していただいたかも知れません。
ペトロは、主イエスの救いを伝えました。主イエスについて「この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる」(10:43)とはっきり伝えました。
コルネリウスとその家族は、主イエスを信じて洗礼を受けました。

ペトロは、ユダヤ人だけでなく、主イエスを信じる者はだれであっても救われることを、はっきりと神様の聖霊の働きによって確認していきました。神様は、すべての人を救いに導こうとされています。教会に来ている人だけでなく、すべての人を救いに導こうと心にとめておられるということです。

ペトロはとても喜んで神様を賛美しました。
何があったかを、エルサレムの教会の人たちにも伝えました。最初、エルサレムの教会の人たちは、ペトロがユダヤ人では無い人を受け入れて一緒に食事をしたと批難しました。 でもペトロは話しました。三度も繰り返して神様から「神が清めたものを、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」と言われたことを話しました。そして、ユダヤ人ではない異邦人のコルネリウスの家に救いが私たちと同じように与えられたことを伝えました。
そうすると、神様の聖霊の働きで、エルサレムの教会の人たちも、ペトロと同じように狭い考えが広くされていきました。神様は私たちだけでなく、ユダヤ人ではない異邦人も悔い改めさせて、救いの命を与えてくださった、と神様を賛美しました。

私たちも、ユダヤ人ではなくて、エルサレムからはるか遠く離れた、地の果ての者です。このときペトロたちが、コルネリウスの家に行ったことが、やがて広がって、地の果てのこの日本にも主イエスの救いが伝えられて、今に至っています。そのことを信じて、神様を賛美します。数えきれない人たちが約2000年にわたって、主イエスの救いを伝え続けてこうして私たちも主イエスを救い主と信じて礼拝を献げています。数えきれない人たちを、神様の聖霊が支えて働いてくださっています。目には見えないけれども、いっしょにいてくださる神様です。

こうして礼拝を献げている時は、天での礼拝とこの礼拝が、天と地で繋がっています。こうして日本でも主イエスを信じている、地の果てにも救いの命が与えられていることを知って、天でも神様を賛美しているはずです。私たちにも、主イエスの救いが伝えられ信じているゆえに、神様を賛美します。
ペトロたちがそうしたように私たちも、神様がすべての人を救いに導こうと心に留めておられることを信じて、神様の救いを伝えていきましょう。

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