礼拝

クリスマスの大きな喜び

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「いと高きところには栄光神にあれ、地の上には平和、御心に適う人にあれ。」ルカによる福音書2:14

羊飼いたちが主イエスの誕生の知らせを受けた時は、一日の内でいつだったか。それは真夜中です。みんなは寝ているときに、羊飼いたちは交代で羊の番をしていました。夜に羊を狙って襲ってくる動物がいるからです。
そんな真夜中に、突然天使たちが来て、「主の栄光が周りを照らした。」とあります。彼らはほんとうに驚いた。たき火はしていたでしょうが、周りは真っ暗闇です。うとうとしてたき火に木をくべるのを忘れて火が消えると、暗闇から羊を襲うオオカミのような動物が出てくる。交代で見張っていたでしょう。しかし、周りには警戒していても、上に向かっては注意などしなかった。天気がよければ星を眺めて季節を感じていたでしょう。空から来るものがあるとは全く想像もしていなかったはずです。神様は思いもよらない仕方で、近づいて来てくださることがあるのです。
真夜中に、突然天使たちが来て、「主の栄光が周りを照らした。」
そのときに暗闇がなくなって追い払われるように、神様の栄光で明るくなりました。

聖書では、暗闇が私たちを覆っているというのは、悪がはびこっていたり、神様の御心にそわないことがたくさんあることを表します。
私たちが生きている世界に、どうしてこんなことがあっていいのか、と思うような暗闇があっても、神様はその闇を追い払うように、光をもたらしてくださる。そのことを、真夜中の暗闇に輝いた天使たちは、表しているのです。

思いがけいないことは、暗闇が照らされたことだけではありません。
救い主の誕生が、知らされたからです。しかも、その大切な知らせが、思いがけず羊飼いたちに知らされたことです。
羊飼いたちは、羊を世話して移動するので、十分に学校に行くことができません。羊の毛を刈った羊毛を人々は使って世話になっているのに、人々は羊飼いたちを見下していました。そればかりか、羊飼いたちは、裁判の証人になれなかったと言われます。この人は、悪くないと、羊飼いが言っても信用してもらえなかった。
ユダヤの国ではみんな救い主の誕生を待ったいたでしょうが、その誕生の知らせが、真っ先に羊飼いに届くとは、誰も思わなかった。羊飼いたちも、全く想像もしていなかったはずです。
周りの人たちからは、一人前の人扱いをされていなくても、どんな人であっても神様の心にとまっている。主なる神様の心には、私たちひとりひとりが、おぼえられているのです。
自分たちにも救い主の誕生の知らせが届いたことに、羊飼いたちは大きな喜びをいただいたのです。
私たちの心にも、神様は大きな喜びを届けてくださる。自分のような者など、神様の御心にとまっているのだろうか、と思う人にこそ、神様は、羊飼い同様に、喜びを与えてくださるのです。

天使が大合唱しました。
「いと高きところには栄光、神にあれ。」
これは、別の言い方をすると「グロリア インエクセルシス デオ」讃美歌の歌詞にもあります。救い主である主イエスが栄光をお受けになるのはふさわしいので、だれも文句はないでしょう。
その次は、「地には平和、御心に敵う人にあれ。」
平和というのは、戦争がないこともそうですが、平安とも訳せる言葉で、神様が私たちに救いをくださって、大きな喜びを与えてくださるように、ということです。
その救いの喜びというべき平和が、「御心に適う人にあれ」と天使は告げました。
これは聞きようによっては、神様の御心に生きている人は、平和がもたらされるけれども、そうでない人はだめということになる。決してそうではない。
私たちの側で、平和の喜びを受ける資格があるかないかという、御心にかなうことを神様は乗り越えて、一方的に、私たちをすべて御心にとめて、御心に適う人にしてくださった。それが、
「地には平和、御心に敵う人にあれ。」ということです。

だれであっても、神様の御心にとまって大切にしてくださる。
神様は、わたしの平安を受けるようにと、おっしゃってくださるのです。
だからあなたも神様におぼえられていますよ、と喜びを告げていくのが、クリスマスの喜びです。

牧師  願念 望

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