アルブレヒト・デューラーが描いた「祈る手」

2016年8月22日

「キリスト・イエスが、・・・わたしたちのために執り成してくださるのです。」
(聖書、ローマの信徒への手紙8章34節)

ある朝お話ししたのですが、それは「祈る手」という有名な絵についてです。お聞きになった方があるかもしれませんが、1509年の絵で、アルブレヒト・デューラーが描いたものです。(右の絵)キリスト教会で長く愛されていきた絵のひとつです。
アルブレヒトと友人のハンスは、ドイツのニュルンベルクで暮らしていた。若い二人は、とても絵が好きでいつかは本格的に学びたいと夢を持っていた。ただ、貧しい二人にはそれはとても遠い夢であった。
ある日のことハンスは提案します。どちらかが先に勉強して、もう片方が働いて支えるというのはどうか。先に勉強を終えた者が今度は働いてもう一人を支えるというものです。アルブレヒトも賛成するのですが、どちらが先に絵を勉強するか、お互いにゆずりあってまとまらない。
そこでハンスが、アルブレヒトに提案した。「お前の方が絵が上手だから早く勉強が終わるだろう。だから先に勉強してくれ。おれが働いて支えるから。」
ハンスの提案を感謝して受けて、アルブレヒトは絵の勉強のため留学します。イタリアのベネチアに学びました。1年が経ち、2年が経ってもなかなか終わりにできませんでした。
ハンスからはいつも、気にせず納得するまで学んでくれ、と手紙がきて学費を支えてくれました。
やがて数年経って、アルブレヒト・デューラーはベネチアでも高い評価を得るようになって、ニュルンベルクに帰ります。

久しぶりに再会したアルブレヒトは、ショックを受けました。
それは、ハンスの手が働きすぎで、とても絵筆を握れない手になっていたからです。ハンスは少しでも多く稼いで支えようと、鉄工所で重いハンマーを握って働いていた。
アルブレヒトは心が痛みました。ある日、アルブレヒトは、ハンスの部屋に入ろうとして、ハンスが祈っている祈りを聞くのです。
「アルブレヒトはわたしのことをとても気にしています。どうか、アルブレヒトが自分を責ないように。彼が、わたしの分も夢をかなえてくれますように。」
心を打たれたアルブレヒトが、どうかハンス、君の手を描かせてほしい。といって描いたのが、「祈る手」です。ハンスの手には、鉄工所で働いたあとがあります。指がすっと伸びないので手をぴったり合わすことができないのです。

その絵を見ながら私は、主イエスの「祈る手」を、主イエスの祈る姿を思いうかべました。ハンスの手には、鉄工所で働いたあとがあって、指がすっと伸びないので手をぴったり合わすことができない。それ以上に主イエスの手にも、明らかな傷跡があるのです。
私どものために十字架に命を献げてくださった釘の跡です。復活されてもなお、主イエスはとこしえの傷跡を持っておられるはずです。十字架は、私どもが父なる神から離されて滅びにいたる審きを代わって受けてくださったものです。父なる神が、どうしても私どもを審かなくてはならないときに、その審きを私どもではなくご自分の独り子に与えてくださった。それによって私どもに赦されてい生きる救いの道が与えられたのです。十字架に神の愛があらわされているのです。

復活された主イエスは、なおも祈り続けておられます。その「祈る手」には、とこしえの傷跡があって、なおも祈り続けておられるのです。「キリスト・イエスが、・・・わたしたちのために執り成してくださるのです。」(聖書、ローマの信徒への手紙8章34節)とある通りです。
主イエスは、この世で起こる、私どもが心を痛める事柄に、誰よりも御心を痛めて祈り続けて支えておられるのです。何とかしようと、決してあきらめてはおられない。その祈りに私どもも心を合わせるようにして祈っていきたいと願います。

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