クリストフォロスの伝説

2016年8月22日

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。・・・
わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られ る。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
(マタイ11章28-30節 聖書、イエス様の言葉)

イエス様は、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と私たちを招いてくださいます。でも何もしないで休むのではなくて、「わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」と約束されたのです。
軛(きびき)は、昔、牛や馬が畑を耕していたときに、たとえば2頭の牛をつなぎ合わせるためにつかった木の棒のようなものです。その軛が、たとえて言われます。
どういうことかと言いますと、「わたしの軛を負」うようにイエス様が招かれるのは、その棒の片方をイエス様がいっしょに負ってくださるということです。
「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い」とイエス様が言われたのは、神様が与えてくださる苦労だと信じていくときに、喜ばしい苦労となっていくことを約束されたのです。

キリスト教会に伝わる、こんな伝説があります。
あるところに、クリストフォロスという大男がいました。
クリストフォロスの仕事は、川渡し、です。昔、橋が川になかったときに、人が人を担いで向こう岸に渡してあげていました。
とてつもない大男で、力持ちなので、クリストフォロスは、ひょいと人を肩に担いで、つぎつぎみんなを向こう岸に渡してあげていました。
でも、ある日のこと、クリストフォロスは、朝から休んでいました。
それもそのはず、昨日までふった雨で、川の水がふえて、ゴーゴー流れるので、さすがのクリストフォロスも、川渡しが無理なので、お休みしていました。
そこへ、ある小さな子どもがやってきました。小さな男の子です。
「向こう岸へはこんでください。」

クリストフォロスは、その子に説明しました。川の水が、こんなにゴーゴー流れているから無理だよ、と。しかしその子は、どうしても向こう岸にわたってすることがあるから、むこう岸に運んでほしい、と言うことを聞かないのです。
クリストフォロスは、どうしたかというと、大人を運ぶのは無理だけど、私ひとりなら、どんな川でも向こうまで渡ることができる。この子を肩車しても、ひとりで渡るのと変わりはない。
そう思って、男の子を肩車して、渡り始めました。

するとどうでしょうか。小さな男の子なのに、ものすごく重たく感じます。
いままで背負ったどんな大人よりも重たい。川底に、足がめり込みます。
まるで地球全部を背会っているのかと思うぐらいに、どうしようもなく重たいのです。
いったいこの子は誰なんだと思って見上げると、それは何と、イエス様でした。
そうか、知らずにイエス様をお乗せしていたんだ、とクリストフォロスはうれしくなったのです。そして不思議なことに、次の瞬間から、とても軽くなった。
そればかりか、すいすい嵐の川を渡って向こう岸へたどり着くことができました。

神様が与えてくださる苦労だと信じていくときに、軽くなって、むしろ喜ばしい苦労となっていくように、神様の祝福を祈ります。

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