2022年2月20日(日)礼拝式次第と説教 「あなたの罪は赦される」

2022年2月20日

 

教会に集う形での礼拝を再開しております。
CS(9時〜)と夕礼拝(毎月第2日曜日 18時30分〜)も再開しております。
引き続き感染症対策にご協力ください。

日曜日の10時30分からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」、午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。

みなさまのご健康が守られますようお祈りいたします。

 

 

降臨節第9主日礼拝
2022 年 2 月 20日(日)
司式 役員
奏楽 河野 美和子

前 奏
招 詞    詩編127編1-2節
讃 美 歌    404-3節 〝あまつましみず〟
交読詩編     詩編147編1-11節
祈 祷
讃 美 歌   149-2節 〝わがたまたたえよ〟
聖 書    マルコによる福音書2章1-12節(新約63頁)
説 教    『あなたの罪は赦される』  牧師 佐藤 倫子
讃 美 歌   510-1節 〝主よ、終わりまで〟
信仰告白  〝使徒信条〟
献 金
主の祈り
派遣の賛美  90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福
後 奏

 

 

 

 

説教 2022 年 2月 20日(日)
「あなたの罪は赦される」   牧師 佐藤 倫子
マルコによる福音書2章1-12節

 

■捨て身で

イエスは一線を越えて自分に迫ってくる人間にめっぽう弱い、そのようなお方です。近づいてきてはいけないはずの重い皮膚病の人が自分の下にひざまずいた時、イエスは手を伸ばしてその人に触れ、「よろしい、清くなれ」(マルコによる福音書1:40以下)と言われたました。世の中が「秩序を守る」と称して引く境界線を突破し、捨て身で人が近づいてくる時、イエスはその人に神の国の到来を宣言するために、ご自分もまた一線を大きく踏み越えるのです。

 

 

■信仰を見て

イエスは重い皮膚病の人に触れて癒したことによって、もはや公然と町に入ることはできなくなっていました。律法の規定に従えば、イエスも穢れた者になったからです。
表だって家から出られないイエスの下に、大勢の人が押しかけてきました。話を聞きたくて来た人、癒しを求めてやってきた人、イエスの行動を監視するために来た人など様々だったことでしょう。それで、家は人で埋め尽くされ、その周りも群衆が取り囲むという状態になっていました。

そこに中風ために起き上がることのできない病人を、寝たままの状態で運んできた4人の人がやってきます。中風というのは、脳梗塞など脳血管の病変による半身不随や手足の麻痺を指す病名です。
群衆に阻まれてイエスに近づけなかった彼らは大胆な行動に出ました。屋上に上がって屋根をはがし、病人をイエスの前に吊り下げたのです。これは明らかに社会的常識を逸脱する行為であって、やり過ぎと言われるでしょう。しかし「信仰」故に彼らは一線を越えました。

この無謀な、あるいは非常識な行為に、イエスは彼らの信仰を見たのです。ここでいう信仰とはイエスに対するものではないでしょう。寝たきりの病人に対する誠実、真実。イエスは他人の家を破壊した4人の非常識さではなく、そこまでして一人の人を救いたい一途な誠実さを見たのです。

 

 

■あなたの罪は赦される

病気の辛さは孤独と連動することが多いものです。見捨てられているという孤立感が、苦しみを増幅させます。しかし、この人の場合、4人もの人がここまで真剣に、なりふり構わずその救いを一途に想い、懸命に努力する姿が隣にありました。そのことが、もうこの人を救っている。そういう意味でイエスは、「あなたの罪は赦されている」と過去形ではなく、「あなたの罪は赦される」と現在形で告げたのではないでしょうか。

罪が赦されるとは、破壊された関係が再建されて、孤立していた者が神によって健やかな関係の中に引き戻される、ということでもあります。  ある意味、中風の人が、彼を何とか助けようとする友たちに運ばれ、イエスの前に置かれているということ自体が、彼の罪が赦されているということのしるしになっている、イエスはそこを見ておられたのでしょう。

立つことも歩くこともできなかったこの人が、自分の足で起き上がることができるようになったということ。彼が寝かされていた床、それは彼が人によって担がれ、持ち運ばれなければどこにも行くことができなかったことの象徴でもありました。そして彼が愛されていることの象徴でもありました。愛するということは、その人を担うということです。しかし今や彼はその床を担いで歩き出しました。担がれなければならなかった者が、担ぐ者へ。神を愛し、人を愛する者へと変えられたのです。

 

 

■癒しの奇跡

イエスが行われる癒しの奇跡とは、その人全体の癒しに関わることです。イエスは体と心を癒しただけではなく、社会との関係をも回復しようとされます。心、体、社会性、どの面からその人全体の癒やしに関わるかはさまざまです。現代の教会はどこから癒やしに関わっていくことができるでしょうか。たとえば、社会の中で"死んだようになっている"人の近くに寄り添うこともまた、その人を"社会的に"生き返らせることになるでしょう。しかし、いずれの時も忘れてはならないのは、そのどれもがその人の全体性につながっているということ。無数の痛みが満ちるこの世界にあって、体が喜ぶことは、魂が喜ぶことに。さらに生命全体が喜ぶことは、人と人との共生を取り戻すことへとつながっていくのですから。

 

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