教会に集う形での礼拝を再開しております。
CS(9時〜)と夕礼拝(毎月第2日曜日 18時30分〜)も再開しております。
引き続き感染症対策にご協力ください。
日曜日の10時30分からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」、午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。
みなさまのご健康が守られますようお祈りいたします。
受難節第3主日礼拝
2022 年 3 月 20日(日)
司式 牧師 佐藤 倫子
奏楽 内田 直美
前 奏
招 詞 フィリピの信徒への手紙 4章4-5節
讃 美 歌 17-4節 〝聖なる主の美しさと〟
交読詩編 詩編 98編1-6節
祈 祷
讃 美 歌 479-2節 〝喜びは主のうちに〟
聖 書 フィリピの信徒への手紙 2章17-18節(新約363頁)
説 教 『Rejoice! よろこんで』 牧師 上林 順一郎
讃 美 歌 455-6節 〝神は私の強い味方〟
信仰告白 〝使徒信条〟
献 金
主の祈り
派遣の賛美 90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福
後 奏
説教 2022 年 3月 20日(日)
「Rejoice! よろこんで」 牧師 上林 順一郎
フィリピの信徒への手紙 2章17-18節
きょうのフィリピへの信徒への手紙は「獄中書簡」と呼ばれています。パウロがエフェソの町の牢獄から送った手紙だからです。彼はエフェソの町で伝道していた際に騒乱罪の容疑で捕えられ、獄中に入れられていたのです。この時代、公正な裁判がなされないで一方的に死刑が執行されることもありました。この手紙の中で「信仰に基づいてあなたがたにいけにえを捧げ、礼拝をおこなう際に、たとえわたしの血が注がれるとしても」と書いていますが、パウロは死の予感を持っていたのです。しかし、この獄中書簡は、同時に「喜びの書簡」とも呼ばれてきました。それは、この手紙の中に「よろこびなさい」という言葉が多く語られているからです。今日の箇所でもそうです。「わたしは喜びます。あなた方一同と共に喜びます。同様にあなたがたも喜びなさい。わたしといっしょに喜びなさい」と4度も喜びなさいという言葉を用いています。
しかし、先ほど言ったようにパウロは決して喜べるような状況にはいなかったのです。それにもかかわらず、彼は「よろこぼう」と言い続けるのです。
■邪悪な顔ではなく
以前、NHKの番組で「響き合う父と子」という題目のドキュメンタリーが放映されたことがありました。「父と子」というのは作家の大江健三郎さんとその息子の大江光(ひかり)さんのことですが、大江健三郎は東大の学生時代に「飼育」という小説で芥川賞を受賞し、次々と小説を書き、一躍文壇で活躍を始めます。そして、結婚するのですが、最初に生まれた子ども、それが「光(ひかり)」さんですが、彼は生まれた時から脳に重大な障害を持っていました。そのことを知った大江健三郎は、これまで自分が築いてきた業績、そしてこれから得るだろう自分の将来が足元からガタガタと崩れていくことを感じます。そして、彼はそうした現実を受け入れることができず、そこから逃げ出そうとあがくのですが、しかし、どうしても現実から逃避することはできず、その現実を受け入れ、重い病を持つ息子の光さんと共に生きていくことを決断します。それ以降彼の小説はひかりさんとの共生をテーマにしたものとなって行きます。
「響き合う父と子」というのは、大江親子がどのように日常の生活の中で共生を生きているのか、ということを描いたものですが、そのシーンの中で次のような場面がありました。当時、大江は自分の最後の小説と決めていた「燃え上がる緑の木」という三部作を書いていました。一部、二部はすでに発売され、話題となっていましたが、かれは最後の一冊となる第三部を書いている最中でした。
自宅の居間で大江はソファに座って原稿用紙に向かって第三部の最後の部分を書いていました。しかし、適当な言葉が見つからないのか、苦しんでいました。彼は突然立ち上がって部屋の隅にある本箱に行き、書棚から一冊の本を取り出して読み始めます。なんの本なのかよく分かりません。しかし、よく見るとどうも英語の聖書のようなのです。それを読んでいた大江は決心したように椅子に戻り、原稿用紙を開けてそこになにかを書きました。原稿用紙の最後の一行に書かれていたのは「Rejoice!」という英語の一文字でした。
■白鳥の歌を
彼は第三部の出版後、新聞紙上のインタビューでこう答えています。
「僕は生き続ける人類に対して邪悪な顔を示さないで、死にたいと思っています。『燃え上がる緑の木』の一番最後で『Rejoice!』 と、自分や他の人たちにいうのはそういう意味なのです」
パウロは伝道者としての生涯がここで終わるかもしれないという予感を持っていました。騒乱者と看做され、不法に逮捕され、牢獄にとらわれ、死刑に処されるかもしれないという世の邪悪な力を前にして、彼もまた「Rejoice!」と繰り返すのです。
「主において常に喜びなさい。重ねて言います。よろこびなさい」(4:4)
このフィリピの信徒への手紙は、別名「白鳥の歌」と呼ばれてきました。白鳥は、息を引き取る直前に「最も美しい声でなく」と言われているそうです。パウロはいま死の予感にとらわれながら、最後の言葉、最も美しい歌を歌おうとしたのではないでしょうか!
きょうで国分寺教会の代務者として最後となります。そして、きょうは国分寺教会での最後の説教になります。パウロに倣って、最後にわたしの「白鳥の歌」を。
「Rejoice!よろこんで」