2021年12月5日(日)礼拝式次第と説教 「クリスマス、一字で書くと」

2021年12月5日

 

教会に集う形での礼拝を再開しております。
CS(9時〜)と夕礼拝(毎月第2日曜日 18時30分〜)も再開しております。
引き続き感染症対策にご協力ください。

日曜日の10時30分からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」、午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。

みなさまのご健康が守られますようお祈りいたします。

 

 

降臨前第3主日礼拝
2021 年 12月 5日(日)
司式 牧師 佐藤 倫子
奏楽 河野 美和子

前 奏
招 詞    イザヤ書41章10節
讃 美 歌    231-1節 〝久しく待ちにし〟
交読詩編     詩編67編1-6節
祈 祷
讃 美 歌   241-1節 〝来りたまえわれらの主よ〟
聖 書    マタイによる福音書 1章23-25節(新約2頁)
説 教    『クリスマス、一字で書くと』  牧師 上林 順一郎
讃 美 歌   262-2節 〝聞け、天使の歌〟
信仰告白  〝使徒信条〟
献 金
主の祈り
派遣の賛美  90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福
後 奏

 

 

 

 

説教 2021年12月5日(日)
「クリスマス、一字で書くと」    牧師 上林 順一郎
マタイによる福音書 1章23-25節

 

クリスマスを迎えると、かならず読まれる聖書の箇所に今日のマタイによる福音書1章18~25節がありますが、ここにはクリスマスの意味が明確に告げられています。それはクリスマスとは「インマヌエル」すなわち、「神が我らと共にいます」という出来事であると告げていることです。インマヌエルとは旧約聖書のイザヤ書7:14からの引用ですが、「インマヌ」とは「我らと共にいる」という意味で「エル」は神です。この二つの言葉が合わされて「インマヌエル」、すなわち「神、我らと共にいる」と言う意味になります。これは旧約聖書を貫いている主張で、神は遥か遠くの天上におられる方ではなく、私たちと共にいてくださるという信仰の告白なのです。

たとえば、モーセはエジプトからの脱出の旅の途中、天幕の中で神と出会います。その時「主は人がその友と語るように、顔と顔とを合わせて語られた」(出エジプト記33:11)と、まるで友達同士のようになられたとあります。

新約聖書のヨハネによる福音書でもイエスの誕生を、「言葉は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(1:14)と、表現しています。「宿った」と言う言葉は「天幕を張って一緒に生活する」と言う意味です。「共となる、家族の一員となる」という意味です。

クリスマスの出来事は神がイエスの誕生において「私たちの友」となったことを示しています。イエス自身も「あなたがたはわたしの“友”である。もはや、あなたがたを僕とは呼ばない」(ヨハネ15:14)と語っています。クリスマスはイエスの誕生によって神が私たちの友となられた出来事なのです。これがクリスマスの意味であり、福音なのです。

 

以前、アメリカ人の宣教師夫妻と一緒に牧会をしたことがありました。宣教師が日本で働くには何よりも日本語が通用することが求められますが、夫は日本語があまり上手ではありませんでしたが、妻の方はとても上手でした。彼女も最初は日本語、特に漢字が難しくて苦しんだそうですが、ある時、日本人の先生が「漢字」はもともとは絵のような文字から作られたものであると教えたのです。たとえば、“川”という字は水が流れている姿から来ています。だから、漢字を見て絵をイメージしてみるとその意味や成り立ちがわかると教えてくれたそうです。彼女はそれから漢字を見ながら自分なりのイメージを作って、漢字の意味や書き方を勉強したというのです。その彼女が最初に習った漢字の中に「友」と言う字があり、この文字をじっと見ながら彼女はあるイメージを持ったのです。

「友」と言う字は「人が十字架を担いでいる」姿に見えたというのです。たしかに、十字架を担いでいる姿に見えます。「友」というのは、ひとの十字架をかついでいく、それが「友、フレンド」であると学んだのです。漢字は単なる記号ではなく、意味を持っている言葉なのです。その最初の成り立ちを知ると文字の意味も知ることができ、大変面白かったと言っていました。

 

クリスマスとは何でしょうか?それはひとりの幼子が誕生した喜びの出来事です。しかし、それだけの出来事ではありません。その幼子、イエス・キリストの誕生は「神が私たちと共におられる、インマヌエル」のしるしなのです。「共にいる」の共にという漢字、実は「友」の字と親戚で、いずれも手のかたちから作られているのです。共も、友も、お互いに手で支え合う、手で助け合うという字から生まれた漢字なのです。

いま私たちの世界は神から離れて、自分たちだけで生きている世界です。それゆえに罪や悪が横行し、人々はいさかいや憎しみと分裂の日々を過ごしているのです。それがもとで、私たちの間には差別や分裂や争い、そして殺意が支配しています。私たちの手が戦争を起こし、人を殺し、手が他者を引き離しているのです。

それは私たち自身の手が生み出したものであり、私たちが背負っていかなければならない罪の十字架です。しかし、私たちだけで負いきれるものではありません。そうした十字架を私たちに代わって負って歩んでくださったのがイエス・キリストなのです。私たちと共にいてくださり、私たちの友となってくださったイエス・キリストなのです。

クリスマスは神と人とが「共に友」となった驚くべき出来事なのです。そして、わたしたちがお互いが友となって生きていく新しい生き方、奇跡が起こる時なのです。

 

さて、今日の説教題、「クリスマス、一字で書くと」、何でしょう?

 

 

 

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