2021年12月12日(日)礼拝式次第と説教 「光が見えるか」

2021年12月12日

 

教会に集う形での礼拝を再開しております。
CS(9時〜)と夕礼拝(毎月第2日曜日 18時30分〜)も再開しております。
引き続き感染症対策にご協力ください。

日曜日の10時30分からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」、午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。

みなさまのご健康が守られますようお祈りいたします。

 

 

降臨前第2主日礼拝
2021 年 12月 12日(日)
司式 役員
奏楽 浅井 義子

前 奏
招 詞    マルコによる福音書 1章1-3節
讃 美 歌    265-3節 〝天なる神には〟
交読詩編     詩編85編9-14節
祈 祷
讃 美 歌   256-1節 〝まぶねのかたえに〟
聖 書    イザヤ書 40章1-11節(旧約1123頁)
説 教    『光が見えるか』  牧師 佐藤 倫子
讃 美 歌   520-3節 〝真実に清く生きたい〟
信仰告白  〝使徒信条〟
献 金
主の祈り
派遣の賛美  90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福
後 奏

 

 

 

 

説教 2021年12月12日(日)
「光が見えるか」    牧師 佐藤 倫子
イザヤ書 40章1-11節

 

■今日は何の日

待降節第三日曜日は、ローマ・カトリック教会の規定によれば、喜びの日曜日。ローズサンデーとも呼ばれる日です。この呼び名は、昔は礼拝の初めに唱えられる賛美唱が「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。」(フィリピの信徒への手紙4:4-5)であったことに由来します。ラテン語聖書ではこの聖句は「喜びなさい Gaudete ガウデテ」から始まることから、「喜びの主日」と呼ばれ、今日この日は、アドベント・クランツのローソクの色がバラ色で表わされている教会もあることでしょう

 

 

■備えられた道

そんな待降節第三日曜日の今日、与えられた聖書箇所はイスラエルの人々の非常に苦しい状況が描かれています。

ユダの国がバビロニアに破れ、首都バビロンに連れて行かれたイスラエルの人々は、はじめこそその苦しみを神に祈ったことでしょう。しかし、神は応えてくださらなかった。祈り続けることのむなしさに人々は疲れ果てました。連れてこられた第一世代は死に絶え、第二、第三の世代の時代となります。彼らにとってはもはや、カナンは遠い過去の土地。
バビロンとエルサレムの間は、乾ききって荒れた地によって遠く隔てられていました。わずかにエルサレムに通じる道は、いくつもの山を越え、谷をくぐる、険しく狭い、厳しい荒れ地の道です。かつて、エルサレムの民は絶望と共にこの長く辛い道のりを辿ってバビロンに連行されてきたのでした。しかしその、目の前に広がる不毛の荒れ地に響き渡る声が聞こえます。今こそ、バビロンからエルサレムへ、真っ直ぐ広い道を通せ、という力強い声です。かつて、絶望と恥辱を抱えて辿った道に換えて、希望と喜びと共に約束の地へ向かう、回復への真っ直ぐな道が備えられるのです。預言者イザヤの呼びかけは困難の中にある人々に希望をもたらしました。そして同時に、反発をも生みました。その中でなお彼は語り続けたのです。時を経て、結局、人々はイザヤによって預言された通り、この道を通ってエルサレムへと帰っていきました。

神の用意される道は、イスラエルの人々が通る道だけではありません。それはまた、平和の王、正義の主の到来する道でもあります。

 

平和の王とは誰か。それはイエスに他なりません。イエスの道はガリラヤで始まり、ゴルゴタで終わりました。イエスは、その道を歩んでゆく中で、自分の価値観、生き方を示されます。彼の生き方はわたしたちその言葉を受けとる者たちも歩むべき道であるでしょう。今、歩もうとしている道かもしれません。あるいは、すでに歩みつつある道であるかもしれません。その中でなお、聖書はわたしたちに告げています。わたしたちは歩むことに失敗してもなお、再び歩むように招かれています。そして、その歩み、その苦闘と挫折と涙においてこそ、復活したイエスと出会うことができる、と。

神の福音を宣べ伝え続ける役割が私たちにも与えられています。しかし、その働きはまるで荒れ地に種をまくように、いくらまいても芽が出ないように思ってしまいます。その思いは「なんと呼びかけたらよいのか」(6節)というイザヤと何ら変わることはありません。これほど主を愛し、主に求め続けているのに、どうして語る言葉を私たちに与えてくれないのか、そのような悩みを持ち続けるものです。

 

 

■光が見えるか

「あきらめるな!がれきを押し続けろ!光が見えるだろう?その光に向かって這って行け!」 この言葉は、2017年にノーベル平和賞授賞式で、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のサーロー節子さんが語ったスピーチの1節です。

彼女を支えるもの、それは、彼女が被爆者の代表であるという強烈な自覚です。13歳の時、広島で被爆し、九死に一生を得た節子さん。核の中を生き残った一人として、語らずにはいられないのでしょう。

「諦めるな。がんばれ。光が見えるか。それに向かって這っていくんだ。」倒壊した建物の下で死を覚悟した彼女に呼びかけられた言葉。

 

「光が見えるか。」私たちもそう呼びかけたい。闇の中に沈む人々に、先に主の光を見た一人として。自分も這々の体でそこに向かって這いずりながら、この世界に生きる全ての者と共に。暗闇に光をもたらすために救い主が来てくださった。その希望を信じ、伝えていくものでありたい。そのように願い、求め続ける歩みを続けてまいりましょう。

 

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