2021年6月20日(日)礼拝式次第と説教 「ぞうきんに、なれますか?」

2021年6月20日

 

日曜日の10時半からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」をしています。
日曜日の午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。

礼拝 2021 年 6月 20日(日)
司式 伝道師 佐藤 倫子
奏楽 内田 直美

前 奏
招 詞    詩編51章12-14節
讃 美 歌   8-2節 〝心の底より〟
交読詩     詩編67編
祈 祷
讃 美 歌   464-1節 〝ほめたたえよう〟
聖 書    使徒言行録13章1-3節(新約237頁)
説 教    『ぞうきんに、なれますか?』  牧師 上林 順一郎
讃 美 歌   483-4節 〝わが主イェスよ、ひたすら〟
信仰告白   〝使徒信条〟
献 金
主の祈り
派遣の賛美  90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福

 

 

説教 2021年6月20日(日)
「ぞうきんに、なれますか?」    牧師 上林 順一郎
使徒言行録13章1-3節

 

教会はパッチワークのようだ、と言った人がいました。パッチワークは、小さな布切れを縫い合わせて一枚の布を作ることですが、出来上がってみると見事な一枚の布になります。
今日の聖書には「アンティオキアの教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなどがいた」とあります。アンティオキアの教会は外国の地に最初に建てられた教会ですが、ここに書かれている人々はよく知られた人ではありません。サウロは後のパウロですが、バルナバ以外の3人はほとんど知られていない人々です。

ところでバルナバですが、彼はキプロス島の生まれで自分の故郷の畑を売り、その代金を教会に献金した人です。彼は教会への多額献金者でしたから最初に名前が書かれていたのでしょうか?実は、バルナバは本名ではなく、「慰めの子」と言う意味のあだ名です。この言葉はヨハネ福音書では「弁護者、助け手」と訳されています。
バルナバは生涯パウロの支援者、助手として伝道活動に参加していた人です。パウロは以前はクリスチャンを迫害する人でしたが、ダマスコへの途上で復活のキリストに出会い、劇的な回心をし、クリスチャンになります。バルナバはクリスチャンとなったパウロをエルサレムの教会の指導者たちに合わせますが、教会の人々はパウロを信用しません。バルナバが懸命に使徒たちを説得し、ようやくパウロは受け入れられたのです。しかしユダヤ人の中にパウロを殺そうとする人々が出て、彼はそれを恐れて郷里のタルソへと逃げ去り、そこで身を隠します。そのままだとパウロはいずれ信仰も失い、二度と教会に姿を現すこともなく、今日のキリスト教はなかったことでしょう。
パウロの逃亡を知ったバルナバはパウロを探しにタルソまで行き、ようやく見つけだしてアンティオケアの教会に連れてきて一緒に生活をし、パウロを励まし、慰めます。パウロはそこで立ち直ったのです。それ以降、パウロとバルナバとは伝道を共にし、パウロは「話す人」となり、バルナバは「助ける人」となります。もし、バルナバがいなければ今日のキリスト教はないと思っています。

わたしは50年以上も牧師を続けてきました。しかしこの間、牧師として順調に歩んできたわけではありません。どの教会にいても苦労や悩みはたえずありました。そんな時、そばに来て祈り、励まし、支えてくれる教会員がいました。その人々がいたから牧師を続けることができたと思っています。

河野(こうの)進と言う岡山の教団の玉島教会で牧師を勤めながら、瀬戸内海のハンセン病の療養所で伝道を続けた方がいました。
「こまった時に、思い出され。用が済めば、すぐ忘れられるぞうきん。台所の隅に、小さくなり、むくいを知らず、朝も夜もよろこんで、仕えるぞうきんになりたい」 彼の「ぞうきん」と題する詩集の一編です。
「ぞうきん」といえば、お坊さんが身に着けている「袈裟」はもとは道端に落ちている「ぼろ切れ」を集めて縫い合わせたものです。「ぞうきん」のような袈裟をつけて貧しい人々との苦しみを共にしたのです。

コリントの信徒への手紙一、12:28でパウロは「神は教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次は奇跡を行なう者、その次に病気をいやす者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです」と書いています。
パウロは自分を使徒と呼んでいますが、バルナバはどのように呼ばれていたのでしょうか?使徒、預言者、教師に続いて6番目に「援助する者」というのがあります。この言葉は「つかむ」とか「助ける」という意味です。困っている人、助けを求めている人に手を差し伸べて援助する者として働いていたのでしょう。
パウロは生涯使徒を通しました。死後は「聖人」として奉られます。ペトロはローマで十字架につけられ殉教したとされています。彼は初代の教皇とされました。バルナバは伝説によれば晩年郷里のキプロス島に帰り、そこの教会で生涯信徒として仕えたと言われています。

牧師として行き詰まりを感じる時、ローマ教皇フランシスコの言葉を支えとしてきました。「福音の伝道者は人々の心を温めることができ、人々と共に暗い夜道を歩き、親しく語りあうことができ、人々の暗い夜に降りていく人物でなくてはなりません」

白い絹のハンカチにはなれなくとも、「ぞうきん」にはなりたいと思ってきました。

 

 

 

 

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