2021年10月17日(日)礼拝式次第と説教 「きょうは何の日」

2021年10月17日

 

10月より、教会に集う形での礼拝を再開しております。
CS(9時〜)と夕礼拝(毎月第2日曜日 18時30分〜)も10日より再開しております。
引き続き感染症対策にご協力ください。

日曜日の10時30分からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」、午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。

みなさまのご健康が守られますようお祈りいたします。

 

 

聖霊降臨節第22主日礼拝
2021 年 10月 17日(日)
司式 伝道師 佐藤 倫子
奏楽 河野 美和子

前 奏
招 詞     詩編118編23-24節
讃 美 歌   55-1節 〝人となりたる神のことば〟
交読詩編     詩編85編9-14節
祈 祷
讃 美 歌   361-3節 〝この世はみな〟
聖 書    ローマの信徒への手紙13章11-12節(新約293頁)
説 教    『きょうは何の日』  牧師 上林 順一郎
讃 美 歌   440-4節 〝備えて祈れ〟
信仰告白   〝使徒信条〟
献 金
主の祈り
派遣の賛美  90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福
後 奏

 

 

 

 

説教 2021年10月17日(日)
「きょうは何の日」    牧師 上林 順一郎
ローマの信徒への手紙13章11-12節

 

クイズです。「きょうは何の日?」突然、こんなことを聞いてすぐに答えることができる方、いますでしょうか?「きょうは2021年10月17日、日曜日です」。それはその通りですが「何の日」という答えにはなっていません。「きょうは聖霊降臨節第22主日です」。まあ、信仰的には正しいかもしれません。しかし「今日は何の日?」と聞かれて、すぐに答えることはなかなかできないものです。勿論、「きょうが特別な日なら、たとえば誕生日だとか、結婚記念日とかなら、答えることができるかもしれません。それは「今日という日に特別な意味があるからです」。

聖書の最初は創世記です。そこには天地創造が書かれていますが、よく読むと、実際には神様が最初に造られたのは光だったのです。そして、神様は「神は光と闇とを分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である」とあります。ここから、神さまが最初に造られたのは「一日」であったことがわかります。神様は最初に時間を造られたのです。ですから、「きょうは何の日」と聞かれれば、「きょうは神様の造られた一日」というのが正解と言えるでしょう。

新約聖書には「時」ということばが何種類かありますが、よく使われている一つはギリシア語で「クロノス」といい、英語のオクロック(時計)の語源です。一分,一時間、一日のように数えることができる時間のことです。「量的時間」と言えます。もう一つ「カイロス」という言葉があります。これは特別な出来事とつながっている時間で「質的時間」と訳する人もいます。先ほどの説明と関連させるならば、クロノスは私たちが過ごしている時間です。一方、カイロスとは「神の時」、神が関わっておられる時のことと言えましょう。

 

私たちはこの世の時間を生きながら、同時に神の時間を生きているのです。その場合、どちらかの時間を選択し、決断しなければならない時があります。そのとき、どちらの時をえらび、どちらの時に生きるのか、どれが信仰の決断であり、神様が私たちに問いかけられる「時(カイロス)」なのです。

 

 

クイズに戻りましょう。「きょう10月17日は何の日?」ご存じでしょうか。実は日本では「きょうは貯蓄の日」とされているのです。なんで、きょうが「貯蓄の日」なのか、わたしは知りませんが、とにかく「お金をためましょう」という銀行や郵便局の宣伝みたいな日で、個人的には好きな日ではありません。

 

すこし昔に戻りますが、「1940年10月17日、その日は何の日?」まずお分かりにならないでしょうが、ちょうど81年前の10月17日、その日、青山学院に全国から3万人近いクリスチャンたちが集まり、「日本キリスト教団合同の宣言」の行われた日です。それまでの日本の教会は30有余の教派に分かれていましたが、1939年に「宗教法人法」という宗教団体を国家の統制のもとに置くという法律が成立します。この法律の意図は、国家あげての戦争への道にすべての宗教を戦の争協力者とさせるということでした。その国家の体制に協力するためにすべての教派の教会が合同することを進めます。その日の開会式で後に教団の統理となる富田満氏は開会礼拝で「今日の国家の新体制、国策の根本理念は滅私奉公、私を捨てて国家のために奉じるということにあります。これは実にキリストのご精神であります。私どもキリスト者は余人に先んじてこの国難に際して滅私奉公の誠を尽くさなければなりません」と、国家体制に殉じることを勧めています。教会も戦争への道に積極的に協力を表明した日となったのです。

教会はこの世の時間を生きています。私たちも毎日毎日、この世界の時間に束縛されて生きています。その意味ではクロノスの時間を歩んでいるのです。

 

しかし、教会はそれより前に神の時(カイロス)を生きているのです。信仰者は,自分の時を生きているのですが、実は神の時に行かされているのです。今日の一日は自分の時間ではありません。神の時であり、神がその業を行われる時であり、一日なのです。私たちもその一日、一日をこの世の時としてではなく、神の時として、神のみ心を行う一日として生かされていきましょう。

 

 

一日は白い紙、消えないインクで文字を書く
あせない絵の具で 色をぬる 太く 細く、時に震えながら、
一日に一枚、神様がくれる 白い紙に 今日という日を つづる

秋のあじさい(星野富弘)

 

 

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