2021年8月22日(日)礼拝式次第と説教 「忍耐のその先に」

2021年8月22日

 

新型コロナウイルスの感染が急激に拡大し、東京都では5000人を超える勢いとなっています。

こうした事態に対して感染の危険を避けるために8月15日(日)の礼拝から8月29日(日)までの主日礼拝を在宅礼拝といたします。オンライン配信や説教要旨などを用いてそれぞれの場所で礼拝をお献げください。

日曜日の10時30分からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」、午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。

 

2021 年 8月 22日(日)
司式 役員
奏楽 三宅 さやか

前 奏
招 詞      イザヤ書46章3-4節
讃 美 歌   218-5節 〝日暮れてやみはせまり〟
交読詩編     詩編90編1-6節
祈 祷
讃 美 歌   532-2節 〝やすかれ、わがこころよ〟
聖 書    ローマの信徒への手紙8章18-25節(新約284頁)
説 教    『忍耐のその先に』  伝道師 佐藤 倫子
讃 美 歌   536-3節 〝み恵みを受けた今は〟
信仰告白   〝使徒信条〟
献 金
主の祈り
派遣の賛美  90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福
後 奏

 

 

 

 

説教 2021年8月22日(日)
「忍耐のその先に」   伝道師 佐藤 倫子
ローマの信徒への手紙8章18-25節

 

■私たちを取り巻く苦しみ

私たちの生活はさまざまな悩み、苦しみに満ちあふれています。自分自身に関わる悩み、家族に関わる問題、私たちを取り巻く社会に関わる問題、そしてその全てを内側に含む世界に関わる問題があります。
イエス・キリストが私たちに与えられることによって、地上には平和が満ちあふれたはずでした。それなのに、この世界の現状は、その平和な状態とはとはかけ離れたものとなっている現実があります。個人的な対立から政治的な対立、民族の問題、社会制度の問題。平和はいったいどこへ行ってしまったのか、と悩むとき、私たちはこの世に働いているはずの、神の力を疑ってしまいます。
そこにこそ、人間の最も大きい苦しみがあると思うのです。私たちは日常、目に見える苦しみを苦しみとして捉え、それに囚われています。しかし、私たちを取り巻いているのは目に見える苦しみだけではありません。目に見えない苦しみ、自分では気づいていない苦しみをも、私たちはまた背負っています。それは、神に対する人間の態度として表れてくる苦しみです。

イエス・キリストの復活より後、今に至るまで、神の与える救い、神の国はその完成に向かって進んでいます。それは間違いないことです。しかし、その救いの完成への途上にある私たちは、その時が本当に来るのか、わからなくなってしまいます。神が必ず果たしてくださる、という約束を信じたいと願うその思いと、果たしてそれが本当のことかと悩む心の隙間に生じた疑いに苦しむのです。

 

■約束を信じて歩む

もちろん、私たちはその苦しみが取り除かれることを望んでいます。目に見えない苦しみだけでなく、目に見える苦しみも取り除いてほしいと願っています。そのような時、私たちは神に願います。それは神を信じる者にとって、当然のことであり、神により頼む者の姿だから。しかし、その願い、その祈りは時として、自分自身のため、自らの肉の欲望のためにだけ用いられてしまうことがあります。
そのような時、私たちは最初に立ち返らなければならないと思うのです。私たちがその最初から大切にしてきたこと。それは、終わりの時に神が私たちに救いを与えてくださると約束されていること。その約束が必ず果たされるものであると信じること。それが、私たちキリスト者がキリスト者として存在する、最も根源的な力となっています。

神の栄光が実現される時、神の支配は完成する。その光り輝く輝きの中に、本当の救いの世界が完成する。私たちはその時を待ち望み、神に従って歩んできたはずです。その思いを思い出し、歩みたいと思います。

 

■忍耐のその先に

しかし、将来もたらされる栄光を信じ続けることは非常な労苦を伴います。今、私たちを取り巻く世界にあっては、純粋にそのことを信じるだけでも、多くのエネルギーが必要になるでしょう。私たちの周囲には、様々な誘惑や迫害、困難が待ち受けています。信じることを諦めそうになることさえあるでしょう。
これは今の私たちに限ったことではありません。イエスの復活の後から、この二千年の間、信じ続ける苦しみを、人は受け続けてきました。
その、苦しみ続けてきた、私たちキリスト者を支えた言葉。それが、今日のパウロの言葉です。パウロは、神を信じる者にとってその「苦しみ」は将来もたらされる神の栄光と比較して、取るに足りないものであるとはっきり告げています。
時に神を信じられなくなるような大きな苦しみを味わい、うめき続けながら、私たちはそのときを待ち望んでいます。その苦しみやうめきと同時に、将来必ず、その望みが叶えられることを私たちは知っています。その希望を持って、生きているのです。救いの希望を持って生きること。それは、神の救いの御業を信じて生きるということです。私たちは、忍耐のその先にある、いつか必ず叶えられるその救いを待ち望みつつ、信じて歩み続けるのです。

そして、私たち一人一人が救いを信じて歩む時、私たちは初めて、自分の立場を捨てることができるようになる。そうすることによって、立場の違う他者を受け入れ、共に歩むことができるようになります。そして、来るべき新しい世界を、他者と共に作り出すことができるようになるのです。おそらくそれが、本当の意味での神の国の到来であり、神の平和の実現といえるでしょう。神の約束を信じて歩んで参りましょう。

 

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