主なる神の平安と守りをお祈りしつつ掲載します。
そらのとり(教会誌)501号巻頭言より
メッセージ
「嘆きを喜びに変えてください」 牧師 願念 望
「あなたはわたしの嘆きを踊りに変え 粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました。」
(詩編三十編十二節)
主の平安とお守りをお祈りします。
私どもは、新型コロナウイルスによる感染症のことで、とても厳しい状況におかれています。主がお働きくださって、事態を終息させてくださるように心からお祈りします。
祈りのうちに、冒頭の詩編の言葉が与えられました。
「あなたはわたしの嘆きを踊りに変え 粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました。」
詩編は、「嘆きとたたえ」だと言われます。どうしようもない嘆きを神様に持っていき、その嘆きを「たたえ」「喜び」に変えていただいた信仰の歌が詩編だというのです。
「粗布」というのは、悔い改めの時に身にまとったもので、それを主が脱がせてくださるというのは、赦しを与えてくださるということです。私どもが礼拝の度ごとに経験している恵みの出来事でもあります。その粗布を脱がせる代わりに、主は恵みによって、「喜びを帯として」くださったと詩編の信仰者は告白します。主は嘆きを喜びに変えて着せてくださるのです。喜びを身にまとわせてくださるとは、主イエス・キリストの救いの衣を私どもを覆い包むようにすっぽり着せてくださることでもあります。この衣を着ている喜びは、いかなる時にも失われることはない、確かな主の恵みです。
このことを祈ってください、と仲間に言えることは感謝なことです。しかし人に言えることばかりではないのが実感ですが、主なる神はいかなる祈り、嘆きも受けとめてくださるのです。そして驚くべき神の不思議によって、嘆きを神へのたたえ、喜びに変えていただいた、と詩編は歌い継いできました。その信仰の歌を私どももこのような時こそ、歌い継いでいきましょう。
いま教会の庭では、梅の木が小さな実をつけています。毎年の、変わらない光景にほっとします。やがてその実が大きくなるように、主は確かに働いておられるます。
共に祈っていきましょう。
主よ、どうか嘆きを喜びに変えてくださいと心から祈ります。