2021年5月2日(日)礼拝式次第と説教 「みんなちがう、だから・・・」

2021年5月2日

日曜日の10時半からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」をしています。
日曜日の午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。

礼拝 2021 年 5月 2日(日)
司式 伝道師 佐藤 倫子
奏楽 内田 直美

前 奏
招 詞    詩編22編25-27節
讃 美 歌   7-4節 〝ほめたたえよ、力強き主を〟
交読詩     詩編84編
祈 祷
讃 美 歌    394-1節 〝信仰うけつぎ〟
聖 書     エフェソの信徒への手紙4章16節(新約356頁)
説 教    『みんなちがう、だから・・・』  牧師 上林 順一郎
讃 美 歌    395-1節 〝建ちては崩るる〟
信仰告白   〝使徒信条〟
献 金
主の祈り
派遣の賛美  90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福

 

 

説教 2021年5月2日(日)
「みんなちがう、だから・・・」   牧師 上林 順一郎
エフェソの信徒への手紙 4章16節

 

1、礼拝堂を支えた木
きょうの礼拝は「献堂70年記念礼拝」となっています。「国分寺教会50年史」を読むと教会の創立日は敗戦後間もない1947年3月25日です。そしてこの礼拝堂が献堂されたのが1951年の5月8日で、今年でちょうど70年目になります。教会の創立からわずか4年で、この会堂が建てられたことに驚きます。戦後の物資の乏しい時代、そして日本の経済もまだまだ困難な状況に合った時代に土地を得、これだけの会堂を、しかも短期間で建設されたということは奇跡ともいえましょう。なにがこのような軌跡を起こしたのでしょうか?
先週、私は礼拝堂の天井を指してこれは杉の木かもしれないと言いましたが、実はそうではなく、この礼拝堂の木材はすべて「ヒノキ」だそうです。この会堂を設計した池辺陽きよし氏は「礼拝堂の内部は日本にしかないヒノキ、外壁は厚さ三センチの板を削らないまま使った。天井は普通の天井ではなく、それ自体が屋根の構造の一部である。屋根は石でふかれており、石と木がこの建物をまとめていることが、基本的要素である」と説明していますが、とてもユニークな木造の礼拝堂ということです。
ヒノキといえば、日本でいちばん古い木造建物である奈良の法隆寺の五重塔はヒノキ材が使われています。建築されてからすでに1000年余、風雪にさらされながら朽ちることも傾くこともなく今に至っている世界最古の木造建築ですが、なぜ、これほど長きにわたって法隆寺を始め多くの木造建築が存在しているのか?その理由の一つがヒノキという日本の木を用いていることだそうですが、さらに大きな理由は建物を建造する時の建築方法にあると言います。

 

2、建物は組み合わせの妙による
西岡常一という最後の宮大工と言われる人が「法隆寺を支えた木」(NHKブックス)という本を書いています。それによれば法隆寺など日本の木造建築は巧みな木の組み合わせによって建てられていると言います。具体的に言いますと、木にはそれぞれに癖があると言うのです。一本一本の木はそれぞれ違った癖を持っており、同じ木は一本もないというのです。それぞれが違っている木の癖をうまく組み合わせることによって建物のバランスを保っているということです。
具体的には右に曲がろうとする癖を持つ木を左側に曲がろうとする癖を持つ木と組み合わせることによって平衡を保つそうです。上にはねようとする癖のある木を屋根の部分に使うことによってその上にある瓦がずり落ちることを防ぐのです。いろいろな癖を持つ木材をうまく組み合わせ、またその特徴をあえて用いることによって建物自体を支えるのです。それぞれ違った木が障害になるのではなく、組み合わせることによってかえって強くなるのです。
宮大工の棟梁たちには古来から伝えられている言葉があります。「塔組みは、木組み、木組みは木のくせ組み、木のくせ組みは、人組み、人組は人の心組み」という言い伝えです。法隆寺の五重塔などの大伽藍を建てたのは「人の心組み」、大工さんたちの心の組み合わせだと言うことです。

 

3、節々が補いあうこと
きょうの聖書の個所でパウロはこう言っています。「キリストにより、からだ全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いてからだ全体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです」
パウロは教会を「キリストのからだ」と称します。パウロに特徴的な教会論です。パウロの時代の宗教や思想では人間は魂(スピリット)と肉体(からだ)からなっており、魂は高尚で救われるべきものであるが、肉体(からだ)は俗悪で弱く、滅ぶべきものだと考えていました。しかし、パウロは教会をあえて「キリストの体」と呼ぶのです。なぜならばイエスご自身が私たちと同じ体となられ、わたしたちをキリストの体の一部としてくださったのです。それがキリストの教会なのです。
宮大工の棟梁に伝えられている言葉の最後は「人の心組みは、棟梁の工人に対する思いやり」とあります。パウロもキリストのからだである教会を「自ら愛によって造り上げられていく」と言います。

70年前、この地に会堂を建て、伝道に邁進し、地域と共にあるキリストのからだを造り上げてきた力は何だったのでしょうか。それはキリストの教会に対する愛であり、ひとりひとりの教会への愛によってであることをいま改めて思わされます。愛によって組み合わされる教会としてさらに成長していきましょう。

 

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