2021年8月1日(日)礼拝式次第と説教 「握手から、抱擁へ」

日曜日の10時半からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」をしています。
日曜日の午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。

平和主日礼拝  2021 年 8月 1日(日)
司式 伝道師 佐藤 倫子
奏楽 河野 美和子

前 奏
招 詞    詩編85編11-12節
讃 美 歌   393-1節 〝こころを一つに〟
交読詩編     詩編46編8-12節
祈 祷
讃 美 歌   403-1節 〝聞けよ、愛と真理の〟
聖 書    コリントの信徒への手紙二 13章11-12節(新約341頁)
説 教    『握手から、抱擁へ』  牧師 上林 順一郎
讃 美 歌   444-3節 〝気づかせてください〟
信仰告白   〝使徒信条〟
献 金
主の祈り
派遣の賛美  90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福

 

 

 

説教 2021年8月1日(日)
「握手から、抱擁へ」   牧師 上林 順一郎
コリントの信徒への手紙二 13章11-12節

 

毎年8月を迎えると私たちはかつての戦争のことを思い起こし、平和への祈りと誓いを新たにします。
しかし歴史上、戦争のなかった時代はなかったといわれるぐらい、戦争は絶えることなく続いてきたのは事実です。だれもが戦争を望まないのに、どうして戦争が起こるのか、それは私たち人間の罪が引き起こしているものであるといわなければならないでしょう。どのように理由づけても戦争は罪であり、悪です。今日世界には核兵器を持つ国々が多くあります。その核兵器の数は地球が何十回も滅ぶほどの量だとされています。それはいつ爆発するかもしれない爆弾を抱えて生活しているようなもので、死と恐怖とともに生きている姿です。ただ、私たちはそれを見て見ぬふりをしているか、知っていても「まだ大丈夫だ」と自分に言い聞かせているだけかもしれません。

しかし、どこかから平和への道を始めなければなりません。まず、身近な人から平和の握手をすることから始め、そしてそれを敵対する人へと広めていくことが平和への道につながることではないでしょうか。

 

■握手が平和への一歩、しかし・・・

以前、こんなニュースを見たことがありました。それは、長年聖書の地で対立し、憎しみ合っていたイスラエルとパレスチナ自治機構(PLO)の間で和解への動きが強まり、ついにお互いの国を承認するという合意がなされました。その後、ワシントンでイスラエルの首相ラビンとPLOの議長のアラファトが、仲介者であったアメリカのクリント大統領を間に、歴史的な式典が行われました。式典が終わったとき、クリントンの両側に立っていたアラファトとラビンでしたが、アラファトはラビンのもとに近づき右手を差し出します。瞬間、ラビンは一瞬手を差し出すことを躊躇したかのように見えましたが、すぐにアラファトの手を握って握手をします。それは歴史的な和平の瞬間でした。
その後で行われたラビンの記者会見である記者がラビンに質問をしました。「アラファトがあなたに握手を求めようとしたとき、あなたは一瞬躊躇したようでした。しかし、結局アラファトと握手をしましたね。」ラビンはそれに答えました。「長年、敵であった者と握手をするのは私にはとてもできないことでした。しかし、長年敵であった者と握手をしなければ平和は来ないのです」

しかし、この「平和の握手」がラビンの命を奪いました。その2年後、イスラエルの超右翼の青年によって狙撃され、命を奪われました。平和のための握手一つで命が奪われる時代でもあるのです。

 

■平和と義と祈りと

「平和を実現する人々は幸いである」と、山上の教えの中でイエスは語られました。しかしそのすぐ後で、「義のために迫害される人々は幸いである」と続けて語ります。平和を実現するとは義のために迫害されることとでもあるのです。
義のために迫害され、命を奪われることなくして平和の実現はないということでもあるのです。詩編85:11「慈しみとまことは出会い、正義と平和が口づけする」とあります。正義と平和とは一体なのです。正義がなくして平和はなく、平和なくして正義は存在しないのです。

「口づけ」と言えば、パウロは教会にあてた手紙の最後に「聖なるくちづけによってたがいに挨拶を交わしなさい」と書きます。口づけとは抱擁のことでもあります。カトリック教会ではこの「聖なるくちづけ」を「コンスピラチオ」と呼ぶそうです。「コン」とは「いっしょに」という意味で、「スピラチオ」はスピリットです。スピリットは「息」とも訳すことができます。ある聖公会の司祭はこれを「ともに息を吸い合うこと」と説明しています。お互いが吐き出す口臭のする息を自分の息として吸い込み、共にする、それが「聖なる口づけ」です。とはいえ、今のコロナ禍の時代、握手することもできません。ハグすることも、まして口づけすることなど不可能なことです。しかし、わたしたちにはもう一つの「息」が与えられています。人間を作られたときに神様が吹き込まれた命の息です。祈りです。「キリストは、生きておられるところで、祈っておられる。キリスト者のうちで、生きておられる彼はキリスト者のうちで祈っておられる。わたしは祈っている。けれども祈っているのはもう私ではありません。私のうちで祈っておられるキリストなのです」(『内なる祈り』アンリ・カファレル)

私たちの息とともにキリストが祈っておられるのです。今だからこそ、聖なる息、内なる祈りでもってキリストとともに平和を祈り求めるときです。

 

 

Copyright© 国分寺教会 , 2021 All Rights Reserved.