「あなたはわたしの嘆きを踊りに変え 粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました。」
(詩編三十編十二節)
3月に入り、年度末を迎えて大切な時を過ごしています。また新型コロナウイルスによる感染症のことで悩ましい状況が続いています。主がお働きくださって、事態が終息に向かっているようお祈りします。
祈りのうちに、冒頭の詩編の言葉が与えられました。
「あなたはわたしの嘆きを踊りに変え 粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました。」
詩編は、「嘆きとたたえ」だと言われます。どうしようもない嘆きを神様に持っていき、その嘆きを「たたえ」「喜び」に変えていただいた信仰の歌が詩編だというのです。
「粗布」というのは、悔い改めの時に身にまとったもので、それを主が脱がせてくださるというのは、赦しを与えてくださるということです。私どもが礼拝の度ごとに経験している恵みの出来事でもあります。その粗布を脱がせる代わりに、主は恵みによって、「喜びを帯として」くださったと詩編の信仰者は告白します。主は嘆きを喜びに変えて着せてくださるのです。喜びを身にまとわせてくださるとは、主イエス・キリストの救いの衣を私どもを覆い包むようにすっぽり着せてくださることでもあります。この衣を着ている喜びは、いかなる時にも失われることはない、確かな主の恵みです。
このことを祈ってください、と仲間に言えることは感謝なことです。しかし人に言えることばかりではないのが実感ですが、主なる神はいかなる祈り、嘆きも受けとめてくださるのです。そして驚くべき神の不思議によって、嘆きを神へのたたえ、喜びに変えていただいた、と詩編は歌い継いできました。その信仰の歌を私どもも歌い継いでいきましょう。
いま教会の庭には、紅白の梅が咲きそろっています。近づいてよく見ると、ミツバチが来て蜜を吸っています。毎年の、変わらない光景にほっとします。やがていっぱい実がなるのが楽しみです。私どもは主の働きをすべて知ることはできません。しかし確かに働いておられる主がおられるのです。
嘆きを喜びに変えてくださる主を共に信じ、祈っていきましょう。