教会に集う形での礼拝を再開しております。
CS(9時〜)と夕礼拝(毎月第2日曜日 18時30分〜)も再開しております。
引き続き感染症対策にご協力ください。
日曜日の10時30分からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」、午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。
みなさまのご健康が守られますようお祈りいたします。
降臨節第10主日礼拝
2022 年 2 月 27日(日)
司式 牧師 佐藤倫子
奏楽 三宅 さやか
前 奏
招 詞 ヨハネの手紙一 3章16節
讃 美 歌 430-1節 〝とびらの外に〟
交読詩編 詩編100編
祈 祷
讃 美 歌 484-1節 〝主われを愛す〟(口語訳)
聖 書 ヨハネによる福音書3章16-17節(新約167頁)
説 教 『イェスさん、わてらを好いたはる』 牧師 上林 順一郎
讃 美 歌 484-1節 〝主われを愛す〟(文語訳)
信仰告白 〝使徒信条〟
献 金
主の祈り
派遣の賛美 90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福
後 奏
説教 2022 年 2月 27日(日)
「イェスさん、わてらを好いたはる」 牧師 上林 順一郎
ヨハネによる福音書3章16-17節
■Jesus loves me! This I know. For the Bible tells me so.
10年ほど前にNHKの大河ドラマ「八重の桜」が放送されました。会津藩の山本八重という女性を主人公にしたドラマです。彼女は会津戦争の後、京都に向かい、そこでアメリカに密出国し、牧師になって帰国、その後京都の同志社大学の設立者となる新島襄と結婚します。そのドラマの中で八重が女性の自立のために開いていた裁縫学校の授業で襄が英語の歌を歌うシーンがありました。それが、先ほど歌いました讃美歌484の英語の原詩の最初のフレイズです。以下が一節の全文です。
Jesus loves me! This I know. For the Bible tells me so.
Little ones to Him belong. They are weak, but He is strong.
Yes,Jesus loves me! Yes,Jesus loves me! Yes,Jesus loves me!
The Bible tells me so.
この讃美歌の作詞者はアナ・バーレット・ウォーナーというアメリカ人の女性の文学者ですが、彼女の小説の中で「死の床にある少年の枕もとで教会学校の先生たちがこの讃美歌を歌う」というシーンがあります。「イエスが私を愛しておられる。わたしはそれを知っている。なぜなら、聖書が私にそう告げているから。」この讃美歌には「イエスが私を愛してくださっている」という言葉が繰り返されています。死の床にあった少年の心にきっと届いた歌だったでしょう。
この讃美歌は日本語に最初に訳された讃美歌の一つで、宣教師として横浜に来ていたジェームズ・バラによって訳されました。その後、1903年に作られた「明治版讃美歌」では「主 我を愛す」ではじまる歌詞が採用されました。
■大阪バージョン
以前いた教会に90歳を過ぎた高齢の女性がいました。毎週熱心に礼拝に来られる方ですが、ある日の礼拝後、「センセイ、最近、耳が遠おなって、説教が聞きとれまへんのや。どないしたらエエでっしゃろ」と。いつも大阪弁丸出しの人でした。こっちも大阪生まれですから、「そやったら、説教の時は聖書でも読んではったら」、「ほな、そうします」
半年ほどたったある日、「センセイ、最近、目も悪くなって、聖書も読めまへんのや」、「そりゃつらいなあ、そやったら心の中で讃美歌を歌ってたら」「ほな、そうします」。しばらくしてまた「センセイ、説教中も讃美歌を歌ってるんですが、同じ歌ばかりなので、飽きましたわ。」「なにを歌ってはるの?」、「昔、日曜学校でいつも歌ってた歌、“エスさん、わてを好いたはる”、ですわ」
関西の教会の日曜学校では「主われを愛す」を大阪バージョンでよく歌うのです。この歌詞がいつまでも頭の中に残っていたのですね。
95歳を過ぎ、自宅での生活が困難となって介護施設に入所しました。時々、施設を訪ねましたが、帰り際に枕元でいつも大阪バージョンの讃美歌を歌いました。
“エス(イェス)さん、わて(わたし)を好いたはる。エスさん 強いさかいに 、わて弱わいけど 怖いことあらへん。わてのエスさん、わてのエスさん、わてのエスさん、わてを好いたはる“
99歳で天に召されましたが、最期は「エスさん、わてを好いてはる」と大きな声で歌いつつ神様のみ許に帰られたと信じています。
■最後の残るのは
高齢になり、説教の声も聞こえない、聖書も読めない、教会にも行けなくなる。そうなった時、私たちはどのようにして信仰を持ち続けることができるのでしょうか?これは教会の課題です。わたしは信仰の最後に残るのは祈りと讃美歌だと思っています。子どものころから歌っていた讃美歌、いまでも空で歌うことができる讃美歌、最期の日でも心の中で歌える讃美歌、その讃美歌を繰り返し歌うことが信仰の養いになり、最期の日々でも私たちの力となり励ましになるのです。
20世紀最大の神学者と言われるカール・バルトという人がいました。生涯で膨大な書物を書き、世界の教会に対して今日でも大きな影響力を持っている人です。ある日、彼はアメリカのジャーナリストのインタビューを受けました。「あなたの膨大な神学書を、ひと言で要約したらどうなりますか?」バルトはしばらく考えたのち、「Jesus loves me! This I know, For the Bible tells me so」と英語で歌い、「これがすべてです」と答えたのです。
あのカール・バルトの信仰を支えたのは、「聖書は言う、イエスさまは愛されます。このわたしを」との讃美歌の一節だったのです。讃美歌のたった一節でも私たちの信仰を支える力となるのです。