2021年9月5日(日)礼拝式次第と説教 「ヨコの広さか、タテの深さか」

2021年9月5日

 

新型コロナウイルスの感染が急激に拡大し、東京都では感染者数が高止まりの状態が続いています。

こうした事態に対して感染の危険を避けるために9月12日(日)までの主日礼拝を引き続き在宅礼拝といたします。オンライン配信や説教要旨などを用いてそれぞれの場所で礼拝をお献げください。

日曜日の10時30分からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」、午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。

みなさまのご健康が守られるようにお祈りいたします。

 

2021 年 9月 5日(日)
司式 役員
奏楽 内田 直美

前 奏
招 詞      詩編67編1-4節
讃 美 歌   342-4節 〝神の霊よ、今くだり〟
交読詩編     詩編113編
祈 祷
讃 美 歌   483-1節 〝わが主イェスよ、ひたすら〟
聖 書    使徒言行録1章6-8節(新約213頁)
説 教    『ヨコの広さか、タテの深さか』  牧師 上林 順一郎
讃 美 歌   390-1節 〝主は教会の基となり〟
信仰告白   〝使徒信条〟
献 金
主の祈り
派遣の賛美  90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福
後 奏

 

 

 

 

説教 2021年9月5日(日)
「ヨコの広さか、タテの深さか」   牧師 上林 順一郎
使徒言行録1章6-8節

 

暑さも終わり、秋を迎えました。教会では秋のこの季節を伝道の時としてきましたが、伝道とはクリスチャンの数を増やすこととしていました。ある神学者は日本のクリスチャンの数が人口の1パーセント、100万人にも満たないことを嘆きながら、せめて10倍、10パーセントになれば日本という国は変わると主張し、そのためには伝道をもっと積極的に行い、クリスチャンの数を10倍にすべきだと主張していました。
こうした伝道理解の根底にあるのは、「地の果てにいたるまで、わたしの証人となる」という聖書の言葉で、伝道とは「地の果て」という「広さ」を対象として行われてきました。特にカトリック教会はキリスト教の世界布教を使命としつつ宣教師を送りましたが、それは当時のスペインなどの宗主国の植民地支配の思惑とも絡むものでもあったのです。

 

■地の果てはどこに?

この「地の果て」の「果て」という言葉にはいろいろな意味があります。まず、「(地の)端」という意味です。多くの場合「地の果て」と訳されています。次に「(時代の)終わり」という意味があります。終末という意味に理解することができます。最後に「(最も)低い」という意味もあります。世界の最も低いところまでという意味にもなります。必ずしも「地の果て」とは「ヨコの広さ」だけを意味するとは限らないのです。キリスト教の支配地を拡大することではないのです。

伝道とは終末的なことでもあるのです。イエス・キリストが来られるその時、すなわち「神の国の実現」を待ち望みつつ、この世界の平和と義の実現のために働くこと、それが「伝道(宣教)」であるという理解が重要となっているのです。「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。このようにしてキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々に信頼されます」(ローマの信徒への手紙14:17,18)今日における伝道(宣教)とは、何よりも「キリストに従い、神に喜ばれ、人々に信頼される」ことなのです。

さらに伝道とは「最も低いところ(人々)に下る」ということと理解することもできます。カトリックのフランシスコ教皇は「福音の伝道(者)は、人々のこころを温めることができ、人々とともに暗い夜道を歩き、親しく語り合うことができ、人々の暗い夜に降りていくことができなければなりません」この世界の一番低いところ、低い人々のところに降りていくこと、この世界の「タテの深さ」へと下っていくこと、それが福音の証人となることです。

 

■十字架の福音とは?

私たちの信じる福音は十字架の信仰です。十字架はヨコの棒とタテの棒の組み合わせからなっており、ヨコの棒はこの世界を表しています。それは人間が支配する罪の世界と言えます。ですから、この世界に平和と義と喜び実現するように福音を伝えることが使命(ミッション)です。

しかし、「ヨコのひろさ」だけを視野に置くことは、拡大や増大を目的にすることになりかねません。十字架にはタテの棒があります。その棒はこの世界を突きぬけて地平からさらに下へと突き刺しています。多くの十字架は地平から下への棒は深くなっています。それは神の愛の姿であると北森嘉蔵という神学者は説明しています。神の愛は地平の一番深くまで突き抜けているのです。「地の果て(最も深い所)」まで、神の愛(福音)は届いているのです。その神の愛の業に共にあずかることが伝道であり、証人となることです。

マザー・テレサは修道女となってインドのカルカッタの貧民街に住み、路上で倒れている人々のために「死を待つ人々の家」を造り、遠くの町まで出かけハンセン病で苦しむ人々を抱き、病気の体をさすり、死んでいく人々のために祈り、葬儀を行いました。そこはヨーロッパよりはるか遠くの「地の果て」でありました。死を前にしている人々の終末を見取りつつその人の終末まで寄り添って生きました。世界で最も貧しい場所とされたところで生涯を終えました。

「神はあなたを愛しておられます。神があなたを愛してくださるように、私たちも互いに愛し合いましょう。愛とは分かち合うこと、私たちにある最善のものを与えることです。私たちは、神の愛の運び手なのです。そして、あなたがたがだれであれ、あなたが神の愛の運び手になれるのです」(マザー・テレサ)

彼女が亡くなったとき、所有していたものは「サリー二枚とバケツ一つ、そして小さな十字架だけでした」彼女こそ十字架に生き抜いた人でした。そして地の果てまでの証人でした。

 

 

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