2021年7月4日(日)礼拝式次第と説教 「荷物は一つより、二つがいい」

2021年7月4日

日曜日の10時半からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」をしています。
日曜日の午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。

礼拝 2021 年 7月 4日(日)
司式 伝道師 佐藤 倫子
奏楽 内田 直美

前 奏
招 詞     詩編85編10-14節
讃 美 歌   17-2節 〝聖なる主の美しさと〟
交読詩     詩編34編5-11節
祈 祷
讃 美 歌   301-1節 〝深い傷と流れる血に〟
聖 書    マタイによる福音書11章28-30節(新約21頁)
説 教    『荷物は一つより、二つがいい』  牧師 上林 順一郎
讃 美 歌   393-3節 〝こころを一つに〟
信仰告白   〝使徒信条〟
献 金
主の祈り
派遣の賛美  90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福

 

 

説教 2021年7月4日(日)
「荷物は一つより、二つがいい」   牧師 上林 順一郎
マタイによる福音書11章28-30節

 

教会の掲示板には礼拝や集会の案内が書かれていますが、聖書の言葉が書かれていることも多くあります。調べた訳ではありませんが、間違いなく一番多い聖句は、今日の聖書の箇所でしょう。
「疲れた者、重荷を負う者は誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」この聖書の言葉を見て、教会に始めて行き洗礼を受けたという人は結構多いです。また、愛誦聖句としてこの言葉を選ぶ人も多くいます。それほど親しまれ、また心に響く聖句と言えましょう。
確かに、日々の生活に疲れることが多くありますし、いろいろな重荷を背負って生きていかなければならないのが私たちの人生と言えましょう。このような日常生活から一時でも解き放たれて、ゆっくりと心とからだとを休めることができれば、どれだけ幸せかと思うことがあります。
そんな時、この聖書の言葉がすっと心に入ってくるのです。そしてイエスのもとへと行き、心の安らぎを得たいと願うのです。確かに、そうした安らぎを得ることは私たちの信仰にとって大切な恵みでもあります。
確かに、イエスは「あなたがたを休ませてあげよう」と言われていますから、平安と安らぎが与えられるという約束をしています。しかし、このイエスの言葉は単なる安らぎや疲れの癒しを告げている消極的なものではありません。むしろこの「休ませる」という言葉は、「元気を出させる」という積極的な意味を含んでいる言葉なのです。

では、イエスはどのようにして私たちに元気を回復されるのでしょうか?続いてイエスは言われます。「私のくびきを負い、私に学びなさい」くびきというのは、田畑を耕している牛馬の首をつないでいる横棒のことです。一頭では土を耕すことが困難な場合、二頭の牛馬をくびきと呼ばれる横棒でつないで、二頭で土地を耕すのです。そうすると、重さが分散され重荷は二分され一頭の重さは軽くなるのです。
イエスは背負っている重荷が無くなるのではなく、互いに分け合うことによって軽くなると言われたのです。どういうことでしょうか?

北海道の遠軽に家庭学校という児童自立支援施設があります。留岡幸助というクリスチャンが1914年に設立した施設で、自然の中で農作業などの労働体験を通じて児童の自立支援を行う家庭であり、学校である施設です。その校長を長年務めておられた谷昌恒さんという方がおられます。家庭学校での児童達との共同生活を通しての出来事や考えた事などを「ひとむれ」という数冊の本を書いておられますが、その中にこんな一文があります。
「大きな荷物一つ、肩に担ぐと重いのです。振り分けか、天秤棒の二つの荷物は軽いのです。自分は、自分のことだけで精一杯だ。他人のことなど構っていられない。そんな風に考え、自分一人の荷物にしがみついていると重いのです。あの人は自分のことだけで大変なはずだ、そう思われている人が、多くの人の心配事を担い、力を貸し、共に労苦を分かち合っている。本人はいたって平気な顔をして、人の重荷を担っている。他人の荷を負っていることで、気が張るのか、責任を感じるのか、確かに、荷物は一つより二つのほうが軽いのです」

イエスは言われます。「私のもとに来てわたしのくびきを負いなさい」
私たちが負うくびきのもう一方を負って下さっているのはイエスご自身なのです。私たちは半分だけを追えばよいということでしょう。いや、イエスご自身が重荷のほとんどの重さを負って下さっているのかも知れません。わたしの重荷とイエスの重荷の二つを共に背負うのですが、荷物は一つより二つのほうが軽いのです。
谷昌恒さんは書いています。「荷物が一つより二つのほうが軽いのは、いつの間にか神さまが背後から近づいてきて、そっとその荷物を支えてくださるからだと、わたしは思うのです。多くの人の荷を背負って苦闘している人、きっと神さまが一緒になってその荷を背負って下さっているのです。だから軽く感じるのです」

いつでしたか、散歩中に近所のお寺の掲示板にこんな言葉が書かれていました。「オレが、オレが の我ではなく、アナタが、アナタが の我に生きる」お寺さんもやるなあ、と思ったことでした。
「疲れた者、重荷を負う者はわたしのもとに来なさい。あなたがたを元気にしてあげよう」イエスさまが元気をくださるのですから、今日もイエスさまの元へと出かけましょう。一緒に重荷を負うために。

 

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