2021年2月14日(日)礼拝式次第と説教 「夜明け前」

2021年2月14日

主の平安とお支えをお祈りしています。

日曜日の10時半からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」をしています。
日曜日の午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。

主日礼拝 2021 年 2月 14 日(日)午前 10 時 30 分
司式 伝道師 佐藤 倫子
奏楽 浅井 義子

前 奏
招 詞    詩編121編7-8節
讃 美 歌   151-1節 〝主をほめたたえよ〟
交読詩編   詩編107編1-9節 一 同
祈 祷
讃 美 歌   51-1節 〝愛するイェスよ〟
聖 書    マタイによる福音書14章22-33節(新約28頁)
説 教    『夜明け前』 牧師 願念 望
讃 美 歌   518-1節 〝主にありてぞ〟
信仰告 白  〝使徒信条〟
献 金
主の祈 り
派遣の賛美  90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福
後 奏

説教 2021年2月14日                      牧師 願念 望
「夜明け前」 マタイ15章22~33節

神様がいっしょにいてくださるのに分からない、ということがあるでしょうか。実は、主イエスの弟子たちがそうでした。神様がいっしょにおられないのではと悩むのは、これは信仰者の問題であります。神を信じない、信仰を求めていない人にとっては、神が共にいてくださらないと、悩む必要がありません。ですから、信仰を求めはじめるとき、今まで経験しなかった、新しい壁にぶつかることがあります。新たな悩みが生まれるということです。それは、自分の側で、神様をいつも実感できるわけではないからです。よく考えてみれば、自分の感覚の中に、主なる神を押し込めることはできないのです。

与えられている箇所には、逆風の中、ガリラヤ湖で前に進めないで、あえいでいる弟子達の姿が記されています。弟子達は、その舟に主イエスがおられないで、自分たちだけで漕いでいます。
主イエスは、この時、確かに、ひとり祈っておられたので、弟子達の舟に同席されていなかった。しかし、祈りの中で、夜通し目を覚まして弟子達を覚えておられました。それは弟子達と共におられた、弟子達を見ておられたということです。
マタイによる福音書は弟子たちの姿を、自分たちの物語として、記しています。はじめの頃のキリスト教会の姿、自分たちの姿を、重ね合わせて記しているということです。

キリスト教会は、舟にたとえられることがあります。キリストの教会でありながら、主イエスが一緒におられないで、自分たちだけで漕いでいるように思い込むことがあった。嵐の中、前に進めないで、あえいでいる弟子達の姿に、自分たちの姿を見ているということです。
私どもも、似たような経験があるのではないでしょうか。なぜ、思う所、願う所へとたどり着けないのかと思い悩むことがあります。いま私どもが直面している感染症の、忍耐を必要とする状況もそうではないでしょうか。
しかし同時に、ここに記されている主イエスの姿に、変わらず同じように働いてくださっている、主イエス・キリストを知ることができるのです。漕ぎあえいでいる弟子達のところに、主イエスが行かれたように、私どものところに来られ、み声をかけてくださる。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」と、神の言葉を与えてくださる喜びに生きることができるのです。

この箇所には、とらえきれないことが書いてあります。主イエスが水の上を歩いて弟子たちのところへと行かれたことがそうです。もちろん、マタイ福音書は主イエスが水の上を歩かれたことを信じて記していますが、いつもそのようにして近づいてくださるという意味では書いていないのです。

旧約聖書のヨブ記9章8節には「神は自ら天を広げ、海の高波を踏み砕かれる。」とあります。ヨブ記には荒ぶる嵐を踏み砕く主なる神のことが記されています。ですからここには、主イエスがまさに主なる神として近づいてくださることが示されているのです。
しかもマタイは不信仰な自分たちに、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」と神の語りかけが与えられることは、まさに、主イエスが水の上を歩いて弟子達のところに行かれたように、本来あり得ないことが与えられていると信じて記しているのです。水の上を歩いて近づかれた主イエスの姿に、あり得ない神の恵みによって生かされていることを心にとめて、神の言葉を聞き続けたのです。

礼拝において、神に出会い、神の言葉を与えられて聞くということが、どれほど、本来あり得ないことであるかを、私どもは深く受けとめて信じていく必要があるのです。

さらに私はこの物語の中で、主イエスが、「夜が明けるころ」、弟子達に御自身を明らかにされたことに、思いを引き寄せられます。その時間帯は、夜明け前です。夜明け前の暗き時です。その時は、いちばん暗い、一番冷え込むときです。まさに、そこで御自身を明らかにしてくださることがあるということです。夜明け前とも言える、もっとも、厳しい時にこそ主イエスが近づいてくださっているのです。
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」と主の語りかけを聞いて、信仰と喜びを抱いて生きていきましょう。

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