2021年2月7日(日)礼拝式次第と説教 「弱さの中でこそ」

2021年2月7日

主の平安とお支えをお祈りしています。

日曜日の10時半からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」をしています。
日曜日の午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。

礼拝 2021 年 2 月 7 日(日)午前 10 時 30 分
司式 伝道師 佐藤 倫子
奏楽 内田 直美

前 奏
招 詞    マタイによる福音書11章28節 司 式 者
讃 美 歌   17-1節 〝聖なる主の美しさと〟
交読詩 編  詩編103編1-5節
祈 祷
讃 美 歌   56-1節 〝主よ、いのちのパンをさき〟
聖 書    コリントの信徒への手紙二 12章6-10節
説 教    『弱さの中でこそ』 牧師 願念 望
讃 美 歌   451-1節 〝くすしきみ恵み〟
信仰告 白  〝使徒信条〟
献 金
主の祈 り
派遣の賛 美  90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福
後 奏

説教 2021年2月7日(日)
コリントの信徒への手紙二 12章6~10節
「弱さの中でこそ」                牧師 願念 望

パウロというキリストの弟子がいました。彼は、誰よりも多く働き、用いられた弟子ではないかと言われますし、パウロ自身もそのことを自覚していたようです。
しかしパウロはその働きの絶頂期とも言えるようなときに、自らの弱さと深く向き合う恵みを与えられていきました。

パウロは、どうしても神様から助けをいただく必要のある弱さを痛感していました。私どもも、弱さを感じて主に祈ることがあるのではないでしょうか。
しかし、明らかに助けを必要とするような弱さだけではなくて、気づきにくい弱さもあるのです。人は気づかないところで高ぶっていくことがあります。それも弱さです。自分では気づきにくくて、主に教えていただかなければわからない弱さがあるのです。
よく考えてみれば、人が主なる神の救いを必要としていることは、主に教えていただくなくては分からなかったのです。

パウロは、自分では気づきにくい弱さと言うべき、思い上がり、高ぶりの罪と向き合うことを与えられました。恵みによって悔い改めを与えられていったのです。
ある「とげ」が与えられていることに気づきました。「とげ」が病であったのか、大きな困難であったのか、はっきりとはわかりません。しかしパウロは、それ自体は喜ぶことができず、なかったらと思えることが、それがあることによって祈りに導かれ、神に用いられていることに気づいた。大きな慰めを受けたのです。自らのの弱さを知る中で、主の慰めを学ぶ恵みがあるのです。

パウロは必死に祈りました。このとげを、私から取りのけてくださいと祈りました。思い上がらないようにするために「とげ」が用いられていることがわかっても、やはり、この「とげ」を取りのけてください、もう十分です、と祈るのは当然のことであります。

しかしパウロは、なお学ぶべきことがありました。
パウロは「私は三度主に願いました」と告白していますが、三度祈ったパウロの祈りはかなえられたのでしょうか。とげが取り去られるという意味では、パウロの祈りはかなえられなかったのです。しかし、三度祈ったけれどもその祈りがかなえられなかったのは、パウロが初めではないのです。

パウロは主に祈っていますが、教会の主である主イエス・キリストこそ、父なる神に、十字架を前にこの苦しみの杯をわたしから取りのけてください、と三度祈られました。おそらくパウロは主イエスの祈りを思い起こしたでしょう。そして主イエスのお苦しみを垣間見ることを学ぶ恵みを受けたのです。それこそパウロが知るべきことでした。

三度祈られた主イエスの祈りは、ただ取りのけてくださいということではなく、父なる神の御心にゆだねる祈りでもありました。
ある神学者は、なぜ主イエスは御心にゆだねることができたのかを考えます。そして、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ、十分に発揮されるのだ」と父なる神から語りかけられたからだと想像するのです。その父なる神の言葉を主イエスはここで、自らの言葉として、パウロに語りかけておられる。主は私どもにも語りかけてくださって、御言葉を現実のものとしてくださるのです。

主イエスは私どもの誰よりも、取りのけられない苦しみを知っておられます。神の救いを成し遂げるために、すなわち私どもの罪の赦しの救いのために、主イエスは十字架の苦しみを苦しみ抜いてくださった。しかし主イエスの死のお苦しみはそこで終わるのではなく、そこでこそ神の恵みは十分にあらわされて、主イエスは死からよみがえられたのです。
その主イエスが私どもに「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ、十分に発揮されるのだ」と語りかけられるのです。

主イエスは約束してくださるのです。
取りのけられない苦しみがあります。祈っても祈っても、なかなか事態が変わらない苦難の中におられる方もあるでしょう。感染症のことでも、私どもはなお厳しい状況におかれています。しかしどのようなときも、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ、十分に発揮されるのだ」との御言葉が実現することを信じてゆだねていくことができるのです。主はなおも、私どもの内に、私どもの教会に、恵みを十分に働かせて導いてくださっているのです。

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