2020年12月20日(日)礼拝式次第と説教 「消えない喜び」

2020年12月20日

主の平安とお支えをお祈りしています。

日曜日の10時半からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」をしています。
日曜日の午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。

クリスマス礼拝 2020 年 12月 20 日(日)午前 10 時 30 分
司式 伝道師 佐藤 倫子
奏楽 内田 直美

前 奏   〝今こそ声あげ〟(J.ワルター)
招 詞    イザヤ書9章 5節
讃 美 歌   260-1節 〝いざ歌え、いざ祝え〟
交読詩 編  詩編46編2-12節
祈 祷
讃 美 歌   268-1節 〝朝日は昇りて〟
聖 書    イザヤ書7章10-14節(旧約1071頁)
説 教    『消えない喜び』 牧師 願念 望
讃 美 歌   271-1節 〝喜びはむねに〟
信仰告 白  〝使徒信条〟
献 金
主の祈 り
派遣の賛 美  90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福
後 奏    〝主にある人々〟(G.カウフマン)

説教 2020年12月20日(日)イザヤ7:10-14
「消えない喜び」                 牧師 願念 望

クリスマス礼拝を共に献げることができますことを、主の恵みと信じて心から感謝します。ロウソクの火が四本すべてともりました。1週ずつロウソクをともしながら、礼拝を重ねてこの日を迎えました。
みなさんの中にも同じように思われる方があるかもしれませんが、もう早くも12月のクリスマス礼拝を迎え、しかも年末に向かっていることについていけない気がします。それは、この春からずっと感染症のために忍耐の日々を過ごしてきたことによるのではないか。いつもとは違った日々を過ごしてきたのです。いつかは安心して生活できる日が来ることを願っています。しかしそれが、何十年も先のことだしたら、果たして忍耐強く祈り続けられるでしょうか。

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産み
その名をインマヌエル呼ぶ。」(14)
これは、イザヤが記した救い主誕生の預言です。この預言が主イエスによって成就したと分かってマタイが福音書に記したのは、この預言から700年以上たってからのことです。その間、ずっと祈りがつながっていたのです。私どもも、その祈りの中にあります。主がその祈りを支えてくださっているのです。感謝をもって主の御言葉の語りかけを聞き取っていきたい。

イザヤ書にあるインマヌエルの預言、救い主誕生の預言は、アハブ王の時代に与えられました。インマヌエルというのは、マタイが解説していますが、神は私たちと共におられる、という意味です。(マタイ1:23)目には見えないけれども主なる神が、私どもといっしょに生きておられる。これは教会が代々信じてきたことです。しかしながら、インマヌエルというのは、もう一つ、およそ人が思いもよらなかった、イザヤもおそらく想像もしなかったことを、主なる神が実現させてくださったことを意味しているのです。ただ、いっしょにいてくださるということではないのです。
それは、主なる神ご自身、神様が、私どものひとりとなってお生まれくださったということです。主イエスは、まことの神にして、まことの人として来てくださった。今もなお共におられる主は、まことの神ですが、同時に私どものひとりとなってくださったので、私どものひとりひとりのことを誰よりもよくご存じである。私どもの祈りをよく分かってくださることができる。私以上に私のことを知っていてくださるのです。神が私どもといっしょにいてくださる恵みがいまもなおあります。

さて、インマヌエルの預言がアハズ王に与えられたとき、それは紀元前700年以上前のことです。マタイは、その預言が主イエスによって成就したと記したということは、先ほど申しましたようにおよそ700年以上も人々が祈りをつないでいったということでしょう。旧約聖書で「残りの者」と呼ばれる名もなき信仰者が祈りついだのです。私どももまたその祈りを受け継いでいる。救い主が誕生されて2000年以上たっていますが、主は救いを完成させようと今もなお働いておられるのです。いつかは分からないけれども、インマヌエルの完成を祈り続けているその祈りを、教会は受け継いでいるのです。尊く、大切な使命であります。

心すべきことがあります。アハズ王にイザヤを通して、インマヌエルの預言がなされたとき、アハズ王はしるしを求めなかった。りっぱだと思われるでしょうか。主はアハズを見ぬいておられました。しるしを「わたしは求めない」と言っても、アハズ王がただひたすら主を頼みとしていなかったことを知っておられた。アハズはやがて国が危機的な状況になったとき、大国アッシリアに助けを求めて難を逃れました。それは決してインマヌエルの実現ではなかったのです。アハズの時代から100年余りたって、ユダの国はアッシリアの後のバビロン帝国によって滅んでしまいました。しかし語られた預言は滅びなかったのです。

私はふと思ったのですが、マタイが引用したインマヌエル預言は、旧約聖書でもっとも重要な預言のひとつですが、アハズ王のような者に対してではなく、もっとりっぱな信仰深い王に、あるいはイザヤに直接与えてほしかった。しかし、アハズが欠け多き、罪深い者であるからこそ、主は愛をもって語られたのです。私どももまた、罪深く欠け多き者ですが、主はあなたがたと共にいると語りかけてくださる。
主の赦しを受け、欠けを満たされて生きるようにと招いてくださっている。その招きを与えるためにこそ、救い主がお生まれくださったのです。
主が私どものひとりとなってお生まれくださった喜びを、ロウソクの光であらわしています。ロウソクの火は消えるときがあります。私どものこの地上での生涯にも限りがあります。しかしインマヌエル、神は私たちと共におられる、その恵みは限りがなく、決して消えることがないのです。

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