2020年12月13日(日)礼拝式次第と説教「救いの先駆者」

 

日曜日の10時半からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」をしています。
日曜日の午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。

主日礼拝 2020 年 12月 13 日(日)午前 10 時 30 分
司式 牧師 願念 望
奏楽 浅井 義子

前 奏
招 詞    マタイによる福音書11章5節
讃 美 歌   231-1節 〝久しく待ちにし〟
交読詩編   詩編113編1-9節
祈 祷
讃 美 歌   234-1節 〝ヨルダンの岸で〟
聖 書    士師記13章2-14節(旧約404頁)
説 教    『救いの先駆者』 伝道師 佐藤 倫子
讃 美 歌   460-1節 〝やさしき道しるべの〟
信仰告 白  〝使徒信条〟
献 金
主の祈り
派遣の賛美  90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福
後 奏

 

説教 2020年12月13日(日)士師記13:2-14
「救いの先駆者」               伝道師 佐藤 倫子

 

■不思議な形で生まれる幼子の物語

いよいよ来週はクリスマス礼拝です。クリスマスが近づくと、幼稚園や学校のページェントではマリアへの受胎告知のシーンが演じられます。神からのお告げを受けて不思議な形で生まれる赤ちゃん。それが、人々が待ち焦がれていた「来るべき方」、救い主キリストである。そんなメッセージが届けられ、人々の心に温かな明かりが灯ります。しかし聖書に出てくる「神のお告げを受けて不思議な形で生まれる幼子の物語」はイエスだけではありません。たとえばアブラハムの息子イサクの物語。年老いた妻サラはお告げを受けて息子イサクをもうけます。そして、そこからイスラエル民族が発展していくのです。

 

■サムソン

今日、士師記に登場するサムソンも、そのような「お告げによって身ごもり不思議な形で生まれた」一人です。イスラエルには、メシア待望の長い歴史がありました。主の目に悪とされることを行って裁きを受け、悔い改めると、神は士師(民の指導者)を立てられ、救われる。この繰り返しが士師記です。12人いる士師の最後に登場するサムソンには、生まれる前から神の導きがありました。マノアとその妻は長く不妊だったので、神からの恵みを半ば諦めていました。しかし、神は彼らを用いて救いを実現されます。そして、生まれてきた男の子はサムソンと名付けられました。サムソンはここで「救いの先駆者」と呼ばれています。この「救いの先駆者」とは、神の救いそのものではなく、神の救いの実現を前もって指し示す者のことです。サムソンの資質をひと言でまとめると、それは「力」です。サムソンの母は、主の御使いから禁欲的な生活を送るように命じられ、それを守りました(士師記13:4)。サムソンをナジル人(=聖別された者)として育て、その頭にかみそりを当てることもありませんでした。しかし、成長したサムソンは、母が一所懸命に守った禁欲的な生活とは正反対の、全てに無頓着な生活を送ります。大変な怪力という賜物を、イスラエルを守るためにも用いましたが、自分が好き勝手に生きるためにも用いました。酒好き、女好きであり、やがてそのことが身の破滅を招きます。「力」に頼ろうとする者は、最後にはその力によって滅びを招き入れるのです。

 

■洗礼者ヨハネ

同じように、「お告げによって身ごもり不思議な形で生まれ」、救いの先駆者となったのが洗礼者ヨハネです。神殿の祭司ザカリアの妻エリサベトは、サムソンの母同様、不妊のまま年老いていました。しかし、彼女に幼子の懐妊が告げられます。その子はヨハネと名付けられ、イエス・キリストの活動の準備をしていくことになります。ヨハネの特質は「神の正義と裁き」です。荒れ野で暮らし、厳しく人の罪を問い、悔い改めを迫る。聖書が伝えるヨハネの宣教は大変厳しいものです。しかしヨハネは、「自分はメシアではない」と自覚していました。「わたしより後に来る方は、聖霊と火でバプテスマを授け、麦の殻(=罪人)を消えない火で焼き払われる」とヨハネは告げます(マタイ3:11-12)。ヨハネにとっての「来るべき方」、それは自分よりも厳しい「裁き人」というイメージでした。だから、ヨハネは「来るべき方は、あなたでしょうか」と迷うのです(マタイ11:3)。現実のイエスが自分のイメージとずれていると感じたのでしょう。

 

■指し示すのは

しかし、神は人間のイメージとは違う形で救いを実現されます。それは「不妊=神の恵みから遠い」と思い込んでいた人々の思いを打ち砕かれたのと同様です。力に頼る救いでもなく、ただ厳しいだけの裁きでもなく、神は救いを実現されるのです。イエスは現実には怪力の持ち主ではありませんでしたが、神の力という意味ではサムソンを遙かに上回る「力」の持ち主でした。また、イエスはヨハネにもひけを取らない正義の人でした。しかし、イエスはその力を自分自身の欲望のためには用いられません。また、イエスのまなざしは正義に反する人にまず向けられるのではなく、むしろ社会の枠組みからこぼれ落ちてしまう人に真っ先に向けられます。イエスは力と正義で断罪する世の裁き人としてではなく、癒し人・慰め主として世に来られたのです。救いの先駆者が指し示していたのは、このイエスの姿です。私たちはこのイエスの誕生を待ち望んでいます。その約束の時はもう目の前です。私たちもまた、すでに来られたイエスの喜びをイスラエルの人々と共に味わいましょう。それによって、来るべき方、再臨のイエスを待ち望む力を得るのです。

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