2020年8月16日(日)礼拝式次第と説教 「世に打ち勝つ」

 

日曜日の10時半からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」をしています。
日曜日の午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。

礼拝式次第 2020年8月16日(日)10時30分
聖霊降臨節第12主日礼拝
司式   伝道師 佐藤 倫子
奏楽   河野 美和子
前 奏
招 詞     ガラテヤの信徒への手紙3章28節
讃美歌     422-1節 〝主よ、この時代に〟
交読詩編  詩編146編 1-6a節
祈 祷
讃美歌    169-1節 〝ハレルヤ。主をほめたたえ〟
聖 書     ヨハネの手紙一 5章1-5節(新約446頁)
説 教     『世に打ち勝つ』    伝道師 佐藤 倫子
讃美歌     371-1節 〝このこどもたちが〟
献 金
主の祈り
派遣の賛美  90-1節 〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福  牧 師
後 奏

 

説教 2020年8月16日(日)「世に打ち勝つ」
ヨハネの手紙一 5章1-5節               伝道師 佐藤 倫子

■勝利

今日の聖書箇所には「勝つ」という言葉が多く出てきます。同じグループによって編纂されたと言われるヨハネ福音書にも「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネによる福音書16:33)とのイエスの言葉があります。イエスを信じることによって、私たちは一挙に、苦しみや悲しみのない天国に移されるのではありません。事実、イエスが天上に帰られてからの弟子たちは、大小様々な迫害に遭い、苦難の道を歩みました。偽の預言をする者さえも出現し、グループ内での分裂が起こり始めます。「世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です」(5:4)との言葉に現れるように、当時の教会が置かれていた様々な状況、特に「打ち勝つ」ことを求めねばならない困難な状況がありました。しかし、「勝つ」という言葉は注意して用いねばなりません。今年は東京オリンピックが開かれる年だったこともあり、私たちは「~に勝つ」だとか「勝たねばならない」という言葉をいつも以上に聞いてきました。

 

■切り捨てられる人々

「勝つ」ことは一体何事なのだろうかと考えずにはいられません。特に戦争のように、「勝つ」という勇ましい言葉の背後で小さくされた人たちの存在が蔑ろにされる現実があります。イギリスの絵本作家レイモンド・ブリッグスの『風が吹くとき』をご存じですか。「スノーマン」や「さむがりやのサンタ」など明るく楽しいイメージが強い彼ですが、この作品は核戦争の恐怖をテーマにしており、絵本や児童書の枠を超え、アニメーション映画にもなっています。核戦争が始まったイギリスに住む夫婦、ジムとヒルダ2人だけの会話で話は進みます。ラジオが核戦争の始まりを伝えると、それまでの穏やかな生活は一変し、夫のジムは政府発行のガイドラインに沿って、家のドアを外して室内にシェルターを作り、核ミサイルが落ちた時に備えます。その備えにどんな意味があるのか、なぜ必要なのか、2人はよく分かっていません。ヒロシマという言葉が何度か出ますが、政府の言う「正しいこと」をすることが一番だと信じています。核ミサイルが落ちた後も、見た目に分かるだけのケガはなかった2人は、何も情報がないまま生活を続けようとします。水道が動かないから降ってきた雨水でお茶を沸かし、被爆でぼろぼろになった家を片付けます。そのうちに、どんどん体に異常が現れ始めるのです。 これは何も知らないまま、知り得ないまま、自分たちや助けを信じながら戦争に巻き込まれていく「普通」の人々の話です。最後までこの2人は、州が、国家が、自分たちを助けてくれると信じ続け、国が勝つことを疑いませんでした。しかし、彼らは切り捨てられたと同時に、自分から「切り捨てられに行っているのではないか」とも思います。「国が言っているから大丈夫」と思考停止してはいなかったか、と。「果たしてこれは本当に正しいのか」という疑問を持つことが大切です。けれども、自分の中に何か「芯」のようなものが無ければ、疑問を持つだけで堂堂巡りになってしまうでしょう。

 

■世に打ち勝つ

では「世に打ち勝つ」とは何でしょうか。それは、自分の世界に閉じこもることではありません。一見すると、世から離れて霊的なものにだけ注目する生き方が、信仰者としてふさわしいように思えますが、神とこの世の関係を見失っています。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」(ヨハネによる福音書3:16)。この世の現実を否定しながらもなお、この世と関わり続ける中に「神と共に生きる生」があります。神の論理、信仰者としての生き方を介入させることで、間違った方向へ進もうとするこの世を、神の力、神の下へと招かれるのです。戦後75年経った今年、政府が認めた区域外の人々も黒い雨による被爆者だと認める判決がやっと出ましたが、広島市と県は政府の方針に従って控訴しました。原告の「国は我々が死ぬのを待っているのか」との言葉が胸に突き刺さります。戦争はまだ終わってはいないのです。「だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか」(5:5)。私たちを支える「芯」は「イエスが神の子であると信じる」信仰です。イエスと共に歩む、イエスが歩まれたように歩もうとすることが大切です。この世としっかりと関わりつつ、この世の論理に流されない。小さくされている者を排除するような社会を少しでも変えていく。何よりも、子どもたちが成長する未来に、夢と希望を見ることができる社会を形作ることが求められています。しっかりと自分の頭で考え、祈り求めながら、自分の足で立っていきたいと思います。

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