2022年3月13日(日)礼拝式次第と説教 「みんなちがって、みんないい」

 

教会に集う形での礼拝を再開しております。
CS(9時〜)と夕礼拝(毎月第2日曜日 18時30分〜)も再開しております。
引き続き感染症対策にご協力ください。

日曜日の10時30分からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」、午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。

みなさまのご健康が守られますようお祈りいたします。

 

 

受難節第2主日礼拝
2022 年 3 月 13日(日)
司式 役員
奏楽 浅井 義子

前 奏
招 詞    詩編122編8-9節
讃 美 歌    300-1節 〝十字架のもとに〟
交読詩編     詩編18編2-7節
祈 祷
讃 美 歌   300 〝キリエ・エレイソン〟
聖 書    マルコによる福音書 3章20-27節(新約66頁)
説 教    『みんなちがって、みんないい』  牧師 佐藤 倫子
讃 美 歌   403-3節 〝聞けよ、愛と真理の〟
信仰告白  〝使徒信条〟
献 金
主の祈り
派遣の賛美  90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福
後 奏

 

 

 

 

説教 2022 年 3月 13日(日)
「みんなちがって、みんないい」   牧師 佐藤 倫子
マルコによる福音書 3章20-27節

 

■現代のサタン

「神のことを知らない」と言わせる力、神からの恵みを理解せず、自分勝手に生きようとする力、それがサタンだと言えるかもしれません。もし、それらに名前をつけるとすれば、"差別"、"抑圧"、"貧困"、"偏見"というような名前になるでしょうか。いずれも「する」側と「される」側に分かれますが、その特徴は「する」側はいつも安定しており、「される」側はその相手の出方次第でいつでも不安定になることでしょう。

「汚れた霊に取り憑かれている」、「気が変になっている」と周りから言われるほど、イエスの言動は当時の社会にとって衝撃的で、受け入れがたいものでした。受け入れることのできなかった人たちは、当時の社会の枠組み、体制の中で、安定した生活を送っていた人たちです。一方、イエスを受け入れ、喜んで迎えたのは、それとは正反対の人々。貧しさの中に生きる者、差別されていた者、律法の規定によって人間扱いされなかった者。そういう一人ひとりが、イエスの言葉によって立ち上がり、人間らしい一歩を踏み出すことができた様子を、聖書は描き出しています。イエスの歩みはいつどのような時にも、その場にいる一人ひとりが主体性を取り戻し、自由に、自分らしく喜びをもって生きてゆくことができるよう、それぞれの道のりを整えるものでした。

聖書を見ると、イエスは悪霊、サタンに対して一度も負けていません。しかし、イエスに対して最も大きな力を及ぼしたのは、サタンでもなければ、悪霊でもありません。それは、「安定を求める」人間の「正しさ」であり、「権力」だったのです。人間が作り上げた正しさは、悪霊よりもたちが悪い。聖書はそう言わんばかりです。

聖書の中で、イエスはあらゆるものと戦っていますが、その最たるものがこの「正しさ」との闘いと言えるでしょう。イエスは絶えず「正しくありたい」「正しくあるべきだ」という人間のエゴと戦い続けられます。そして、悪霊に取り憑かれて苦しむ人を救うために、その強さを示されたイエスが、自分が正しいと信じる人間の頑迷さによって、十字架へと追いやられていくのです。

 

■みんなちがって、みんないい

正しく生きること、生きようとすること。それは当然、社会生活を営む上で大切なことです。一人ひとりがルールや決まり事を守り正しく振る舞うことで、その社会は滞ることなく回っていきます。しかし、その「正しさ」は、時代や国・地域が違えば、変わるものでもあります。戦場では、敵国の兵士を撃ち殺すことは「正しいこと」です。

今、戦争と聞いて真っ先に思い浮かぶのはウクライナでしょう。ロシア軍による侵攻が続いています。両軍の兵士そしてウクライナの市民の命が犠牲となる中で、核戦力の脅威が出てきています。核兵器の使用は、私たち人類の歴史において今後二度とあってはならないこと。広島と長崎で終わりにしなければなりません。しかし、そのような核兵器の使用でさえ、為政者の一声で「正しいこと」であると実行に移されるのです。

先ほど歌った讃美歌「キリエ・エレイソン」ですが、この曲は、ウクライナ民謡が元になった讃美歌です。美しい旋律に乗せて繰り返される「キリエ・エレイソン」は、元々目の見えなかったバルティマイがイエスに対して叫んだ言葉です。教会は、このバルティマイの叫びを「キリエ・エレイソン」という祈りの言葉として大切に残し続けてきました。日本語では「主よ、憐れんでください」と、訳されています。

 

「私が両手をひろげても、 お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、 地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、 きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、 たくさんの歌は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、 みんなちがって、みんないい。」
(『私と小鳥と鈴と』金子みすゞ)

 

多様性の一致。違っているけどそれでも一緒。それがイエスの目指された「共に生きる歩み」ではないでしょうか。人間の思う正しさを振りかざしても戦争は終わりません。神の思いはどこにあるのか、イエスが今ここにおられたら、この社会、この世の中で、どのように振る舞い、行動し、発言されるのか。私たちの痛みをご自分の痛みとしてくださっている方が確かにいてくださる。その信頼の中で、「キリエ・エレイソン。主よ、私たちの痛みを分かってください」と祈り求め、互いの違いを認め合う、本当の意味での豊かな世界を目指して共に歩んで参りましょう。

 

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