2022年2月6日(日)礼拝式次第と説教 「石を積みつつ、その先を」

2022年2月6日

 

教会に集う形での礼拝を再開しております。
CS(9時〜)と夕礼拝(毎月第2日曜日 18時30分〜)も再開しております。
引き続き感染症対策にご協力ください。

日曜日の10時30分からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」、午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。

みなさまのご健康が守られますようお祈りいたします。

 

 

伝道開始76年記念礼拝(降臨節第7主日)
2022 年 2 月 6日(日)
司式 牧師 佐藤 倫子
奏楽 内田 直美

前 奏
招 詞    詩編127編1-2節
讃 美 歌    394-1節 〝信仰うけつぎ〟
交読詩編     詩編46編1-8節
祈 祷
讃 美 歌   400-3節 〝たとえ塔は崩れ〟
聖 書    マタイによる福音書16章13-20節(新約31頁)
説 教    『石を積みつつ、その先を』  牧師 上林 順一郎
讃 美 歌   536-2節 〝み恵みを受けた今は〟
信仰告白  〝使徒信条〟
献 金
主の祈り
派遣の賛美  90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福
後 奏

 

 

 

 

説教 2022 年 2月 6日(日)
「石を積みつつ、その先を」   牧師 上林 順一郎
マタイによる福音書16章13-20節

 

牧師となって、50年以上になりますが、この間牧師の働きを大きく変える出来事がありました。それはカトリックのシスターである渡辺和子さんの話を聞いたことがきっかけでした。渡辺さんは若いころから修道女になることを希望していましたが、家庭の事情もあって戦後はアメリカに留学し、外資系の会社に就職した後に29歳になってようやく修道院に入ります。

修道院での新米の修道女は、最初は「下働きの仕事」を課せられるそうです。彼女に与えられた仕事は「食堂の食卓の準備」でした。食事のたびにテーブルの上に何十人分かのお皿やスプーンなどを並べる仕事です。彼女にとってそれはあまりにも簡単な作業で、次第に自分にはこんな雑用より、もっと重要でふさわしい仕事があるはずだと、いつの間にか不満な思いが生じていたのでした。

ある日、いつものように食卓の準備をしているところに、アメリカ人の修道院の上司がやって来て、彼女が食卓の準備をしている姿を見て、こう言ったそうです。「カズコ、You waste time」(あなたは時間を無駄にしている)彼女はその言葉を聞いて、「自分はテキパキと食器をならべ、だれよりも効率的に仕事をしている」と心の中で思った時、そのシスターは「あなたはただ食器をテーブルに並べているだけです。あなたが食器を置いているその場所には修道女たちが座ります。中には体調のすぐれない人、家族の中に悩みを持っている人、信仰の悩みを抱えている修道女もいるはずです。あなたは食器の前に座る修道女たちの姿が見えているのでしょうか?お皿を並べるだけではなく、彼女たちのためにひと言、祈りをささげ、彼女たちのことを心に留めながら食卓の用意ができるのではありませんか?あなたは時間を無駄にしています」

渡辺さんはその時の講演でこう語りました。「世の中には雑用というものはありません。仕事を雑にしたとき、それが雑用になるのです」そして言いました。雑用は祈りです。

わたしは「雑用は祈りです」という言葉を聞いてから、「毎日お忙しそうですね」と言われると、「はい、毎日お祈りで忙しいです」と答えることにしています。だいたい、ヘンな顔をされるのですが・・・

 

 

■石ころを積む日々

今日の聖書の箇所で、イエスは弟子たちに向かって「あなた方は私を何者だというのか」と問いかけられた時、ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えます。それにたいしてイエスは「シモン・ペトロ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしは言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」

このペトロのこの言葉は最初の信仰告白です。ぺトロ(岩という意味ですが)すなわち岩の上に教会を建てると言われたのです。カトリック教会ではこの「ペトロ」をペトロという個人とみなし、そしてペトロを初代の教皇としました。以降、カトリック教会では教会の土台はペトロの教皇職を引き継ぐ代々の教皇としてきました。しかし、わたしたちプロテスタントでは「人間ペトロ」ではなく、ペトロが告白した「あなたはメシア、生ける神の子です」という信仰の告白こそが教会の土台であると信じているのです。

ペトロという人間は弱く、間違いを犯し、イエスを知らないと三度も裏切るような信仰の弱い人間でした。しかしそのペトロに対してイエスは「わたしはあなたの信仰がなくならないように祈った。だからあなたが立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22:32)と言われました。

私たち人間の信仰はイエスを裏切るような弱いものでありながら、イエスはその弱い信仰さえなくならないように祈ってくださっているのです。だから、立ち直ることができるのです。だから、兄弟たちを励まし、力づけることができるのです。ペトロはその「働き」によって教会の土台の石とされてきたのです。

イエスは頑丈で大きな岩を積むことによって教会を建てようとされたのではありません。そうではなく、教会はペトロのあの弱い信仰、裏切りさえしてしまうような小さな信仰、いわば石ころのような役にも立たない信仰をひとつひとつ積み重ねることによって教会を建てようとされたのです。

 

私たち国分寺教会の土台は何でしょうか?大きくて頑丈な岩でしょうか、高額で立派な岩でしょうか。そうではありません。イエスは石ころのような私たちを積み重ねて教会の土台としてくださるのです。

 

 

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