2021年12月19日(日)礼拝式次第と説教 「客間の外でのクリスマス」

 

教会に集う形での礼拝を再開しております。
CS(9時〜)と夕礼拝(毎月第2日曜日 18時30分〜)も再開しております。
引き続き感染症対策にご協力ください。

日曜日の10時30分からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」、午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。

みなさまのご健康が守られますようお祈りいたします。

 

 

クリスマス礼拝(降臨前第1主日)
2021 年 12月 19日(日)
司式 牧師 佐藤 倫子
奏楽 河野 美和子

前 奏    〝汝らキリスト者よ、神をほめまつれ〟(J.ワルター)
招 詞    イザヤ書63章8-9節
讃 美 歌    256-1節 〝まぶねのかたえに〟
交読詩編     詩編146編5-10節
祈 祷
讃 美 歌   262-3節 〝聞け、天使の歌〟
聖 書    ルカによる福音書2章1-7節(新約102頁)
説 教    『客間の外でのクリスマス』  牧師 上林 順一郎
讃 美 歌   444-2節 〝気づかせてください〟
信仰告白  〝使徒信条〟
献 金
主の祈り
派遣の賛美  90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福
後 奏    〝聞け、天使の歌〟

 

 

 

 

説教 2021年12月19日(日)
「客間の外でのクリスマス」    牧師 上林 順一郎
ルカによる福音書2章1-7節

 

今日はクリスマス礼拝です。クリスマスの出来事を告げる「ルカによる福音書」の2章1節は次の言葉でもって始まります。「そのころ、皇帝アウグストゥスから全土の住民に登録せよとの勅令が出た。人々は皆、登録するために各々自分の町へ旅立った」

ここに登場する皇帝アウグストゥスは当時のローマ帝国の初代の皇帝であり、「主、救い主、神の子、平和の君」と称せられ、あがめられ、世界で一番高い地位にいた人でした。ルカは当時の世界で最も権力をもつ皇帝の名を最初に書き、同時にまったく正反対にある名もなく、弱く、権力も地位もない「ひとりの幼子」の誕生を対比しながら、神の子はいずれの人として誕生したのか?と問うのです。

 

■最初のクリスマス・メッセージ

神がこの世界に来られたのは、首都ローマの皇帝の宮殿の居間に座している人物の子としてではなく、貧しい宿屋の庭の片隅の厩で生まれ、飼い葉おけの中に布にくるまれて寝かされている幼子としてこられたことを告げようとしているのです。王の家に生まれ、すべての栄光と権力を手にしているローマの皇帝、一方、貧しい夫婦の間に生まれ、地位も権力も持たない無力な赤子、この対極の世界の中で、どちらの側に「まことの主、救い主、神の子、平和の君」が来られたのか、ルカが告げる最初のクリスマスのメッセージです。

ルカは「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで、飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊る場所がなかったからである」と書きます。口語訳聖書では「客間には彼らのいる余地がなかったからである」と訳しました。この世界には神の子を迎えるべき客間はすでに消えてしまい、神の子の居場所はなかったのです。

 

■わが心のクリスマス

クリスマスが近づくと、わたしは毎年「ある本」を読むことにしています。それはパール・バックの書いた「わが心のクリスマス」という小さな本です。この本はパール・バックがその人生において経験してきたクリスマスの思い出をつづったものですが、パール・バックはアメリカ人の宣教師の家庭に生まれ、おさなくして両親とともに中国に渡り、子ども時代を中国で過ごします。この「わが心のクリスマス」の中に「宿屋に、部屋もなく」と題する一文があります。それは彼女が12歳の時に経験したクリスマスです。その年のクリスマスの数週間前に黄河が氾濫し、近辺の町や村に大洪水が襲い寄せ、田畑や家を失った何千人、何万人という人々が難民となって彼女の住む町に押し寄せてきました。しかし、厳寒のなかで路上で倒れ、飢えと寒さにより死んでいく人々が毎日何百人と生じ、その死体を河原で焼く煙が一日中絶えることがないような凄惨な日々が続いたのです。

「クリスマスの当日、門の前で難民の女が赤ん坊を生んだ。ベツレヘムの子が生まれた時、その母は飼い葉おけに入れたが、わたしの母は産婦を家の中に入れ、母と子は部屋の中へ寝かせられた。しかし、2,3分後に赤ん坊が、続いて母親も息を引き取った。父親はどこにいるのだろう。その名もわからぬまま、二人のなきがらはキリスト教の墓地に葬られたのである。名もない母と子の二つの魂は、クリスマスの夜に星になったのだ。今でもクリスマスがくるたびに、ツリーが飾られる時期になると、私は決まってあの親子を思い出し、誓いを新たにするのだった。彼らは今も生きている。飢えに悩まされ、戸口で倒れて死んでいくこの地上の多くの人々の中に、彼らは今も生きているのだ」

これは100年以上も前の中国でのはなしです。しかし、これは単なる「昔の物語」でしょうか?そうではありません。現在の世界のあちらこちらで起こっている出来事でもあるのです。多くの人々が国を追われ「難民」としてどこにも居場所を持たないで生きていかざるを得ない人々が何百万人、何千万人もいます。この国の中にも寒さの中、路上での生活を余儀なくされている多くの人々がいます。クリスマスの夜にも孤独な夜を過ごさなければならない多くの若者がいます。一つのパンを分け合って飢えをしのがなければならない家族が現にいます。この豊かそうに見える世界の中で「客間が消えて」しまっているのではないでしょうか?

 

今年のクリスマス、教会の中ではきょうも厳かに、そして盛大に行われているでしょう。しかし、一方、教会の外で、誰にも知られないところで、貧しさや悲しみや病を負って苦しむ人々の間で、「客間の外でのクリスマス」が確実に行われているはずです。

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