2021年5月9日(日)礼拝式次第と説教 「静かな夜に、ただひとりで」

2021年5月9日

日曜日の10時半からインスタグラムでのライブ配信(生中継)」をしています。
日曜日の午後からYouTube(ユーチューブ)で礼拝の録画映像が見られます。当面、ライブ配信と録画の掲載を継続いたします。それぞれ、見る方法が違いますので、お知らせ、礼拝欄の「礼拝の映像を見る方法」を参考にしてご覧ください。

礼拝 2021 年 5月 9日(日)
司式 役員
奏楽 浅井 義子

前 奏
招 詞    詩編118編23-24節
讃 美 歌   11-1節 〝感謝にみちて〟
交読詩     詩編95編1-5節
祈 祷
讃 美 歌    202-1節 〝よろこびとさかえに満つ〟
聖 書    マタイによる福音書6章5-15節(新約9頁)
説 教    『静かな夜に、ただひとりで』  伝道師 佐藤 倫子
讃 美 歌    454-1節 〝愛する神にのみ〟
信仰告白   〝使徒信条〟
献 金
主の祈り
派遣の賛美  90-1節〝主よ、来たり、祝したまえ〟
祝 福

 

 

説教 2021年5月9日(日)
「静かな夜に、ただひとりで」   伝道師 佐藤 倫子
マタイによる福音書6章5-15節

■くどくど祈る
異教徒たちは神について何らかの呼称(呼び名)があったとき、その呼称をすべて唱えなければならないと考えていたようです。祈りのはじめはその神の名を長々と羅列することから始まっていました。呪術的な考え方から、これらの一つでも落とすと、その祈り自体の効力が無くなってしまうとさえ考えられており、この考え方はユダヤ教にもありました。

 

■主の祈り
弟子たちがイエスに祈りについて尋ねた時、イエスは、「出かけて行って、霊的な何かが自分の心を訪れるまで沈黙して座っていなさい」とは答えられませんでした。 「だからこう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、……』」、はっきりとした言葉で教えられたのです。
主の祈りは、イエスからの、そして神からの贈り物です。初対面の人に会う時、もっとも難しいことの一つが、話のきっかけをつかめず話題に困ることではないでしょうか。イエスは、私たちにこの祈りをくださることによって、私たちが神と関係していく時、そのようなことをあれこれ考えないでも済むようにしてくださったのです。

 

■祈ること
私たちは主の祈りを入り口に祈りに触れます。イエスは、「あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、父はお与えになる。」(ヨハネ16:23)と私たちが自由に祈ることすら許してくださっています。しかし、ここで忘れてはならないことは主の祈りが教えてくれている祈りの本質です。祈ることによって、「あなたが神である」ことを知るということ。そして、その神によって、私たちが生かされているということ。ですから、祈りは、神を私の方に引き寄せるために語るものではありません。「神よ、私の思うとおりに動いてください」という願いは、神に対する命令に過ぎないのです。
祈りは創られた者として打ち砕かれるために神にささげられるものです。それは神に対する服従であり、同時に、神の言葉に対する私たちの精一杯の応答ともなるのです。祈りの内容は、喜びの感情だけではないでしょう。迷いや悩み、困難さや傷……。良いものばかりの私たちではありません。人間的な価値観に囚われ、迷いながら、それでも神を見上げてただひたすらに祈る。精一杯の思いをのせて祈る。それが私たちに出来ることであり、私たちに求められていることなのです。

 

■その部屋は、
さて、みなさんは普段祈られる時、どの時間帯にどこで祈られることが多いでしょうか。決まった時間に決まった場所で祈る方がおられれば、祈ろうと思われた時にその場所で祈られる方もいらっしゃるかと思います。今日の聖書には、祈るときは、奥まった部屋に入って、戸を閉め、隠れたところにおられる神に祈りなさい、とあります。戸の締められた奥まった部屋は、誰も入ることができない場所です。そこには、祈る人と、祈られる神の二者だけしか存在しないので、周りを気にする必要はありません。心を落ち着かせ、静かに神のみに語りかけること。実はこれが祈りの一番基本的な姿勢です。
私は、祈る心は夜に似ていると思っています。誰もいない静かな場所。そっと耳をすますと草木のざわめきや虫の音が聞こえてくるかもしれない場所。沢山の人の顔が思い浮かび、ひとりひとりのことを考えられる場所。ひとりだけどひとりではない。私と神だけの秘密の場所。
私たちの良いところも、悪いところも、神はすべてをご存知です。私たちが人知れず悲しみに出会い、鍵をかけた部屋に閉じこもるようなことがあっても、神だけはそれを知っていてくださいます。それは実に恐ろしいことでもあると同時に、大きな喜びでもあります。ひとりひとりが神との部屋を持っているのです。

昔から祈りは"魂の呼吸"と言われてきました。私たちの体に必要な空気は、私たちを四方から取り囲んでいます。空気は自然に私たちの内側に入ってこようとする。呼吸を止めることは、吸うことよりも遙かに難しいことです。口を開きさえすれば、空気は自然に肺の中に入ってきて、体全体に生命を与える機能を果たすのです。魂が必要とする空気もまた、いつも、どこでも私たちを自然に囲んでいます。神はさまざまな形で、十分な恵みをもって、キリストにあってどこでも私たちを囲んでいます。静かな夜にただひとりで。私たちは着飾ることなく、人の目を気にすることなく、ただ神と向き合うために、今日もその部屋に入るのです。

 

 

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