礼拝

メサイアは救い主の意味

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聖書:テモテへの手紙一1章15節

国分寺教会 牧師 願念望

2016年5月

「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた。」(聖書、テモテへの手紙一1章15節)

 救い主のことを新約聖書では、キリストと言います。旧約聖書では、メシアです。元々は、油注がれた者とい う意味で、王や預言者が立てられる時に、頭に香油が注がれたことから来ています。主なる神が、やがて油注がれた者、すなわちメシアを送って救いに導いてく ださることを待望して、メシアが救い主の意味で用いられるようになりました。そのような救い主の待望は、新約聖書へと至り、あのナザレで育ったイエスがメ シア(キリスト、救い主)であることを聖霊(神の霊)によって信じることができるようになった弟子たちが伝えて、今に至っています。

 メシアのことを英語ではMessiah、カタカナで書くとメサイアです。
 有名なヘンデルのメサイアを思い出す方もあるかもしれません。
 ヘンデルのメサイアは、救い主である主イエスの生涯を聖書全体から抜粋したものに、ヘンデルが曲をつけたものです。その中で、有名なハレルヤコーラスが歌われます。
 旧約聖書の時代の、救い主待望の言葉からはじまって、やがて救い主がこの地上に来られた姿が描き出されま す。苦しみを受けて十字架にかかられるのですが、復活されて、死にも勝利されて救いの完成に向かわれる姿の全体は、聖書の語る救いの歴史をたどろうとして います。選び抜かれた聖書の言葉が、その意味内容にあわせて、コーラスと独唱で歌い継がれ、およそ2時間半あまりが、あっという間に感じます。

 ヘンデルのメサイアにも、詩編2編が引用されているのですが、新約聖書にもっとも引用されている詩編のひとつです。
 2編の7節に、救い主を知る時に、よく新約聖書に引用されている言葉があります。
 「主はわたしに告げられた。
  『お前はわたしの子
   今日、わたしはお前を生んだ。』」

 新約聖書が「お前はわたしの子」という言葉を引用する時には、父なる神からの、御子である救い主への言葉として記しています。聖書では神の御子はただ独りです。ですから「お前はわたしの子」という言葉は、主イエスだけがそれを受けるにふさわしいのです。
 しかし聖書は「あなたはわたしの子」という言葉を、私たちも、救い主を信じて同じように語りかけていただ くことができる、と救い主を指し示しているのです。新約聖書では「わたしの愛する子」と記されている箇所もあります。主なる神が、救い主の十字架の苦しみ を私たちが受けるべき罪の審きとしてみてくださり、救い主を信じる私たちのすべてを赦して、「あなたはわたしの愛する子」と、御子を見るように私たちに語 りかけてくださるのです。救われるというのはそういうことです。

 パウロは、救われた喜びを生涯をかけて伝えました。
「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は、真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。」(15)とあるのは有名な言葉です。
 聖書で、罪は、主なる神とずれている、その関係が正しくない、というのが元の意味です。主なる神とずれている、そこからもろもろの罪が生じるということです。逆に言えば、主なる神とつながっていることは救いですし、そこから様々に助けや恵みが与えられるのです。
 パウロは、キリスト者を迫害する者でしたから、そのずれは最たる者だと自覚していたのでしょう。しかしそのような自分が救われただけでなく、キリストを伝える者となったことに驚きを感じ、主なる神をたたえて生きていきました。
 自分のような者が、神に受け入れられて、「あなたは愛するわたしの子」と語ってもらえるのだから、あなたもどうか仲間になってください、と招き続けたのです。

 ヘンデルのメサイアで、有名なハレルヤコーラスが賛美されます。
 「ハレルヤ」は、主をたたえよ、という意味です。
 パウロの語った、「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は、真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。」という告白からも、「ハレルヤ」という神をたたえる喜びが聞こえてきます。
 時代を超えて、数え切れないほど多くの人たちが、パウロと共に「ハレルヤ」と歌い継いできました。おそらく、ヘンデルも聖書から、ハレルヤコーラスが聞こえてきて、彼自身もそのコーラスの一員として、私たちを招いているのではないでしょうか。

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